H28891(W6602) 脇指  銘 大和大掾藤原正則
附)菊花縮緬鮫黒漆研出筒金腰刀拵
保存刀剣
新刀 江戸時代初期 (元和頃/1615~) 越前
刃長 39.5cm 反り 0.8cm 元幅 30.2mm 元厚 5.8mm
剣形:平造、庵棟、重ねはやや控えめに、寸のびて元先の身幅広く反り高くつきふくら張る威風堂々たる姿で慶長新刀期に流布した体躯。(刀身拡大写真
彫物:表は腰樋に添樋、裏には二筋樋の彫物を茎に掻き流す。
鍛肌:地鉄は板目肌よく錬れて詰み、煌めく地錵が平地を覆う。板目の鍛肌に呼応した青黒い地景が鮮明にたつ強い地鉄をしている。
刃文:やや短い焼きだしにはじまり互の目の腰刃を焼いて湾れ、箱刃・尖り刃を交えて総体表裏揃いごころ。刃縁に小沸ついて匂口締まりごころ。刃中は澄んだ匂が充満して淡い匂足がはいる。
帽子:乱れのまま地蔵風に中丸となりやや深く返る。
茎:生ぶ、舟底形。目釘孔三個。剣形の茎尻、大筋違の鑢目。棟肉平でここには勝手下がりの鑢目がある。棟側にはやや詰まりごころの『大和大掾藤原正則』の長銘がある。

 大和大掾藤原正則は本国丹後国宮津、山城の三条吉則の末裔。慶長年間に徳川家康の子、結城秀康が関ヶ原の戦の軍功により越前北之庄初代藩主になると兼則もしくは兼法の斡旋で福井城下に鍛冶場を構えた。銘鑑によると慶長十三、元和二、寛永四、慶安四年紀があり初代康継とともに越前新刀の開拓者の筆頭である。
 この脇指は実戦に主眼を於いた添差しの迫力ある出来映えを明示している。寸がのびて反りを深く付け元先の身幅広く重ねを控えた剣形は、所謂素早い抜刀裁断に適した造り込み。茎の刃方が張る所詮、舟底風となる形状は、末相州の綱廣や武州下原派、駿河の島田派、伊勢の千子派をはじめ慶長新刀諸工にも同様の傾向がみられる。
附)菊花縮緬鮫黒漆研出筒金柄腰刀拵 (拵全体写真拵各部拡大写真
  • 総金具(縁頭 柄筒金 鯉口 栗形 鞘胴金 鐺)銀磨地 鋤下彫
  • 三所物(小柄 笄 目貫) 剣酢漿草紋図 銀地 高彫
  • 銀地筒金柄 螺旋飾目釘
時代金着二重はばき、白鞘は付属いたしません
時代古研ぎにつき処々に轢跡および黒ずみがあります。ご希望により研磨および白鞘製作を承ります
 
脇指  銘 大和大掾藤原正則
脇指  銘 大和大掾藤原正則
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