G70078(S7856) 刀 銘 備州長船忠光 保存刀剣
古刀 室町時代後期 (延徳〜永正頃/1489〜1520) 備前
刃長 67.2cm 反り 2.5cm 元幅 30.4mm 元重 6.6mm 先幅 18.2mm
剣形:鎬造り、庵棟やや低く、片手打ちに適した短い茎をしている。身幅は腰元が広く踏ん張りがつき腰反りがあり、元先の幅差がややついて深い先反りがついて中峰に結ぶ。鎬筋が凛として高く鎬地の肉置きが棟に向かって削いだ造り込みをしている。(刀身拡大写真
鍛肌:板目に杢目肌を交え肌たち地景湧く。地斑調の地沸がついて乱れ映りがたつ。
刃紋:匂い口締まりごころの腰の開いた互の目に丁子刃を交え、焼頭より湯走り状に沸が平地に向かって放射して乱れ映りがある。乱れの谷には小沸が厚く積もり、砂流しかかる。
帽子:乱れ込んで一枚風。
中心:生ぶ。茎尻は刃上がり栗尻が張る。目釘孔壱個。鑢目は勝手下がり、棟小肉つく。佩表下方の鎬地に『備州長船忠光』の銘がある。
 中世、室町時代を通じての戦国・安土桃山期に至る打刀の体躯の特徴は、戦乱の激しさによる戦闘様式の変革を余儀なくされたことより、永正・大永(1504〜27)頃は二尺〜二尺一寸くらいの寸法がつまって、片手打刀恰好のややズングリした姿が主流であった。これが享禄・天文(1528〜40)頃になると刃長が二尺二寸台位に延びて、やや身幅が広く中峰延びごころの姿が多くなる。さらに時代が下り、元亀・天正(1570〜91)頃の室町時代最末期になると寸法は二尺三寸以上、身幅広く、元先の幅差があまり開かずに、大峰に結び、茎の寸法も片手打ちから両手打ちへと移行する傾向が窺われ、上半には先反りの付いた頑健な打刀姿に変貌していく。
 長船忠光は勝光・宗光・清光らと並び「末備前」と呼称される室町後期の備前鍛冶を代表する名流として知られている。忠光は初代を正応頃(1288〜93)と伝え、現存する短刀では貞治三年(1364)があり、続いては応永・文明(1394〜1486)の年紀作がある。彦兵衛尉忠光は右京亮勝光や左京進宗光らとほぼ同時期に活躍し、文明〜明応(1469〜1501)年間の作品がある。その技倆は勝光・宗光に比して遜色がない。忠光には彦兵衛尉をはじめ、彦三郎忠光・修理亮忠光・九郎左衛門忠光・平右衛門忠光らの巧者がいるほかに俗名のない忠光もあり、彼等の技倆は切迫している。最も多くみられるのが永正(1504〜)以降の末備前の忠光である。忠光一門の多くの入念作は『備州長船忠光』と銘を切り、『備前国住長船忠光』とは切付けてはいないことは興味深い。同工の作域は調和のとれた先反りついた姿恰好が上手く、鍛えは小板目肌がよくつみ、匂い本位の中直刃をもっとも巧に焼く刀工として周知されているが、一方で本作のように鍛えが板目に杢目交えて肌たち、地斑調の地沸がついて乱れ映りたち、焼刃は小沸主調の腰の開いた互の目乱れに丁字刃となり、足・葉がはいり、砂流しかかる作風がある。本作は後者の作柄を明示して同工の制作年表を観るに延徳〜永正頃(1489〜1520)の作刀であろうとおもわれる。
 平地・帽子の処々に鍛割れがあるものの、忠光得意とする調和のとれた美しい体躯は不変の原姿を留めており、戦国時代の野趣ある板目状の鉄肌鍛には乱れ映り立ち込める。互の目丁子乱れには変化があり戦国武士の美意識を感じ取ることができる。
金着せ太刀はばき、白鞘入り
参考資料:
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑』古刀篇二 大塚工芸社 昭和42年
長船町史編纂委員会『長船町史』 大塚工芸社 平成10年
刀 銘 備州長船忠光
刀 銘 備州長船忠光
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