F27316(S1522) 刀 銘 兼延 保存刀剣
古刀 室町時代中期(明応頃/1491~)尾張
刃長 66.8cm 反り 2.3cm 元幅 30.0mm 先幅 18.1mm 元厚 7.3mm
剣形:鎬造り、庵棟。鎬高く棟の平肉を削いだ強靭な体躯。元の身幅広く元先の幅差が頃合につき、先反りが深く中峰に結ぶ素早い抜刀に適した造り込み。(刀身拡大写真
鍛肌:地鉄青黒く沈み大板目肌流れて刃寄りの柾目顕著。白けごころの地沸つき淡く映りを敷いて硬軟の地鉄が織りなす太い地景が湧き出す強靭な鍛肌。
刃紋:小沸出来の湾れに互の目・尖り刃・箱がかった刃を交える焼刃の刃縁には小沸が凝縮し明るく冴え、物打ち付近ではさらによく沸づいて尖り刃の焼頭から地沸が湯走り状に放射している。
中心:生ぶ。片手打ちに適した短い茎。佩表の鑢目は逆鷹の羽、裏は鷹の羽の鑢目。茎尻は栗尻が張る。棟肉豊かについてここには大筋違の鑢目がある。目釘孔二個。佩表の第一目釘孔横、鎬地に古雅な二字銘『兼延』がある。
帽子:焼高く強く乱れこんで火炎状に掃きかけてやや深く返る。
 室町期の直江志津一門は、南北朝統一後の需要の低迷による衰退や度重なる河川の氾濫により、直江の地を離れて関や赤坂の地に移住している。
 小山(美濃加茂市下米田町小山)に住した明応頃(1492~)の『兼延』は『兼存』の子と伝えられ、のち尾張志賀(現名古屋市北区金城町)に移住、『志賀関』と呼称され尾張鍛冶の礎を築いている。『兼延』には明応三年(1494)年紀の作があり、一説によると初代は大筋違の鑢目を施し、天文頃の二代は逆鷹の羽を切るという。
 本作は身幅広く反りが高くついて尚武の気風を尊ぶ威風堂々たる体躯で、歩行戦での素早い抜刀に具える剣形は実利を重視したもの。深淵より湧き出す大板目に柾を交えた鍛肌は地沸を敷いて映りがたち、太い地景が縦横に織りなす強靭な地鉄は観る者を圧倒する。小沸が厚く微塵についた刃文は湾れに互の目・尖り刃を主調とした直江志津の典型で匂口が頗る明るく冴える。五百三十有余年前の体躯を保持して茎の錆味優れ逆鷹の羽の明瞭な鑢目と古雅な二字銘『兼延』を今に遺している。
銀着腰祐乗鑢はばき、白鞘入り。
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑・古刀篇三』大塚工芸社、昭和四十四年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期 美濃刀工の研究』株式会社里文出版、平成十八年
 
刀 銘 兼延
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