F2058(S823) 刀 銘 横山上野大掾藤原祐定
延宝四年二月吉日 備州長船住人
附)金梨子地塗秋草図高蒔絵鞘打刀拵
特別保存刀剣
新刀 江戸時代前期(延宝四年/1676)備前
刃長70.5cm 反り1.8cm 元幅29.5mm 先幅21.1mm 元厚7.4mm
剣形:鎬造り、庵棟。重ね厚く、身幅尋常に頃合いの反りがつき、元先の幅差さまに開かずに中峰に結ぶ。(刀身拡大写真
地鉄:地鉄小板目微塵に詰んで地沸厚くつき、地景美麗に入りよく冴えた強靱な地鉄。
刃紋:総体に小沸出来の中直刃、僅かに湾れて鼠足入りほつれる刃を交えて刃縁には銀砂のごとく小沸が厚くついて明るく冴える。刃中匂深く物打ち葉浮かび刃中に沸足が盛んに入る。
帽子:帽子の焼刃は直ぐに大丸となり返りやや深く留まる。
茎:生ぶ。保存状態の良い茎の鑢目は浅い勝手下がり。両区深く刃上がり栗尻張る。目釘孔壱個。棟肉平でここには大筋違の鑢目がある。佩表の鎬地上方より太鏨の長銘『横山上野大掾藤原祐定』とある。裏の平地の二字分下方に制作年紀『延宝四年二月吉日』、同じく鎬地には『備州長舩住人』の出自を刻している。
 新刀上作備前鍛冶、横山上野大掾祐定の打刀典型作。
 天正十九年八月の大洪水による吉井川氾濫により、多くの長船鍛冶場は消失して壊滅的な被害を受けている。新刀期の備前の刀工は永正頃の名工と唱われた与三左衛門尉祐定から数えて四代目にあたる横山藤四郎祐定を中興の祖とし、その子四人がそれぞれ祐定を名乗り独立一家を興している。なかでも七兵衛尉家、源左衛門尉家、宗左衛門尉家は江戸時代を通じて大いに繁盛している。
 上野大掾祐定は七兵衛尉嫡子、名を横山平兵衛という。宗家の与三左衛門尉祐定六代目を継いだ良工で新刀期備前刀工の大御所名手である。
 公卿一条家に仕え上京して作刀、寛文四年七月十一日上野大掾を受領。万治末年から正徳年間(1660~1715)までの作刀年紀があり、享保六年十一月二十九日(1721)歿、享年八十九の長寿であった。七兵衛尉祐定家は定治祐定(寿守)の十代まで続いたという(注)
 この刀は意気盛んな武士の佩刀であろう。寛文・延宝頃の典型的かつ出来優れた優刀。重ね厚く両区とも深くどっしりと重量のある健全な体躯を保ち、茎尻の張った備前茎を有する勇壮な体躯は新刀備前の絶頂期を明示している。

絢爛豪華な黒変石目塗蜀江錦文鞘打刀拵が附帯している(打刀拵全体写真・ / 刀装具各部写真
  • 縁頭:菊花図、赤銅魚子地、鍍金、無銘
  • 目貫:三疋獅子図、金地、容彫
  • 鐔:菊御所車図、鉄地、金象眼、金覆輪、無銘、京正阿弥
  • 鞘:金梨子地塗秋草図高蒔絵、鳳凰図赤銅地栗形
  • 柄:白鮫着生成色細糸蛇腹組上菱巻
金着せ二重はばき、白鞘入り
参考文献:
加島 進 『長船町史・刀剣編図録』大塚巧藝社 平成十年
本間薫山 石井昌國 『日本刀大鑑』雄山閣 昭和五十年

注)与三左衛門祐定(初代)→源兵衛尉祐定(二代)→七郎右衛門尉祐定(三代)→藤四郎祐定(四代)→七兵衛尉祐定(五代)→上野大掾祐定(六代)→大和大掾祐定(七代)→忠之進祐定(八代)→後七兵衛尉祐定・寿光(九代)→定治祐定・寿守(十代)
 
刀 銘 横山上野大掾藤原祐定 延宝四年二月吉日 備州長舩住人
刀 銘 横山上野大掾藤原祐定 延宝四年二月吉日 備州長舩住人
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