A74513(S7855) 刀 銘 羽州住藤原宗慶 附)萌葱色皺革塗腰刻鞘打刀拵 保存刀剣
新々刀 江戸時代後期(弘化頃/1844~) 出羽
刃長 77.2cm 反り 1.7cm 元幅 33.6mm 先幅 22.6mm 重ね 7.3mm
剣形:鎬造り、庵棟。寸延びて身幅広く重ねが厚く、浅めの反りがついて中峰延びる豪刀。(刀身拡大写真
地鉄:小板目肌に杢目交えたよく詰んだ鍛肌。平地には地沸つき地景かかる。
刃紋:小互の目に小丁子を交えて刃縁には小沸が微塵に積もり明るい。刃中は葉浮かび、互の目・丁子の足刃先に向かって放射して冴える。
帽子:帽子の焼刃は高く湾れて乱れ込み中丸に返る。
茎:生ぶ。鑢目は化粧に大筋違い。棟小肉つく。刃上がり茎尻。目釘孔壱個。佩表の鎬地には『羽州住藤原宗慶』の長銘がある。
 江戸時代後期の東北出羽国には新々刀の先駆者である出羽山形城下の名匠、水心子正秀の出現につづき、同郷の筆頭高弟、大慶直胤の台頭により活況を呈するようになった。水心子門下の東北人には米沢藩、上杉家の抱工加藤綱英・綱俊兄弟がおり、奧州白河の固山宗次・泰龍齋宗寛を育成して奧州鍛冶は更なる活躍をするようになった。
 表題の『羽州住藤原宗慶』は固山宗次・宗平門下と推量され『日本刀銘鑑』には時代弘化頃と記載されている。一門での長年にわたる勤務のためか、生涯にわたり任官せずに自身銘の作刀が稀有である。
 嘉永六年(1853)黒船来航に伴う世相は攘夷倒幕、開国佐幕かと不穏で一触即発の様相から刀剣の需要を喚起した。同時代の打刀は平地に比して鎬地狭く、重ね厚く、身幅の広い造り込みが多く、重量のあることが特徴でもある。黒船来航で幕府は安政三年(1856)に直参の旗本・御家人をはじめ若い武士たちを対象とした公立武道専門学校『講武所』を設置した。彼らは長大な刀を好み、柄を長くとり小菱に組み上げた捻巻。これを水平に差して歩く姿が流行を呼び、実用的なだけでなく派手に誇張された造形拵である。

附)萌葱色皺革塗腰刻鞘打刀拵(拵全体写真拵各部拡大写真
  • 白鮫着黒色撮巻き柄
  • 縁頭:赤銅磨地 無文 無銘
  • 目貫:竹筏活花図 赤銅容彫色絵
  • 鐔:肥後 撫角形 鉄地井桁菊花図 金布目象嵌

金着せ銅地加州はばき、白鞘付属
参考資料:本間薫山・石井昌國 『日本刀銘鑑』 雄山閣 昭和五十年
刀 銘 羽州住藤原宗慶 附)萌葱色皺革塗腰刻鞘打刀拵
刀 銘 羽州住藤原宗慶 附)萌葱色皺革塗腰刻鞘打刀拵
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