| A5820(W8570) 脇指 銘 若狭守氏房作 元亀二年二月日 | 特別保存刀剣 |
| 古刀 室町時代末期(元亀二年/1571) 尾張 刃長30.8cm 反り0.2cm 元幅30.8mm 元重5.4mm |
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| 剣形:平造り、庵棟。寸延びて、重ねは薄く、身幅が広い。ごく浅く中間反りがついた元亀・天正頃の寸延び短刀の姿をしている。(刀身拡大写真) 鍛肌:板目が流れ肌目たち潤いがある美麗な鍛肌。細かな地錵付いて鉄色は青黒色を呈し、上半に沸映りがたつ。 刃紋:小沸の付いた湾れに互の目を交え、表裏の刃はよく揃い、美濃物独特の背の高い腰括れの丁子刃を焼いて、焼頭は平地に煙り込んで地斑調の映りがある。刃中の匂は深く充満し、刃縁には細かな砂流しを交えて匂口が明るく冴える。 帽子:乱れ込んで地蔵となり、先掃きかけて返りはやや深く棟で留る。 中心:生ぶ。総体に小降りな茎で、茎尻が細くなり刃上り栗尻。刃側が丸く、棟肉平となる。鑢目は勝手下がり。茎孔弐個。表は『若狭守』を小さく、『氏房作』を大きく切る。裏には『元亀二年二月日』の年紀がある。 若狭守氏房は天文三年(1534)、関七流中の善定家である清左衛門兼房の三男として岐阜に生まれた。姓は河村、名を京三郎と称し、初銘を「兼房」という。弘治二年(1556)、長兄の岩見守国房より善定家の惣領を譲られて嫡子となり名を清左衛門と改め、美濃国関に移住している。永禄十三年(1570)四月十九日、三十七歳の時に清左衛門少尉に任ぜられ「氏房」と改め、三日後の二十二日には若狭守を受領している。 尾張国清洲の城主、織田信長に仕えて抱鍛冶となった。天正五年(1577)、信長に従い近江国安土城下で駐鎚。同十年(1582)六月二十一日、本能寺の変で信長自害の後は岐阜に帰郷して織田信孝の扶持を受け、同十二年(1584)尾張国清洲城下で蟹江城主、佐久間正勝の扶持を受けて鍛刀に励んだ。相模守政常、伯耆守信高と並んで尾張三名工の一角を占める優工である。同十八年(1590)五月十一日没、享年五十七。名古屋大須門前町の東蓮寺(現在は昭和区八事に移転)に睡る、法名『前若州大守良屋宗善居士』。 熱田神宮には「氏房」に改銘する前の代表作で愛知県の指定文化財、太刀 銘 「河村京三郎 濃州関住兼房作」、刀身に切付銘で「永禄十一年二月吉日 奉寄進熱田太神宮 兼房作」がある。また、織田信長の安土城築城後に駐鎚した脇指 銘 「若狭守氏房 江州安土住人」がある。 本作は『若狭守』を小さく、『氏房』を大きく切る氏房壮年期の典型的な銘振りをしており、元亀二年(1571)の年紀があることから「氏房」改銘の翌年、清左衛門三十八歳の作であることが判る。天下布武を目指す織田信長と浅井・朝倉両軍との軍事的・政治的決戦、元亀元年(1570)の『姉川の合戦』、『石山本願寺の一向一揆』や元亀二年(1571)『比叡山焼き討ち』などの戦国時代を背景とした本作は、太刀の添指しとして武将に求められた腰刀様式の寸延び短刀である。茎の鑢目、銘字の鏨も鮮明で保存状態がよく年紀があることも好ましく若狭守氏房の畢生作である。 金着せ二重はばき、白鞘入。 参考::『刀 銘 若狭守氏房作 元亀二年八月日』 参考文献:『尾張刀工譜』 名古屋市教育委員会、昭和59年3月31日 |
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