O120417(W7358)

脇指 銘 兼道作 附)黒腰漆塗分銀地刻鞘小さ刀拵

古刀 室町時代末期(永禄頃/約450年前)美濃
刃長32.0cm 反り0.4cm 元幅28.2mm 元厚6.1mm 先幅23.8mm
保存刀剣鑑定書

附)黒腰漆塗分銀地刻鞘小さ刀拵

剣形:平造り、庵棟。寸法が延びて身幅広く、やや先反りがついて先身幅広く物打ちのフクラが張る。表裏に掻流しの棒樋の彫り物がある。総体勇壮な造り込み。
鍛肌:鍛えは板目に杢目肌を交えて肌立ち、刃寄りに柾目肌流れる。平地は地沸が付き太い地景が入り強靭な黒鉄を呈する。
刃紋:互の目乱れ、腰がくびれて頭の丸く張った刃文。匂い勝ちに小沸よく付いて太い沸足が入り、刃中は深い匂いを敷いて白く明るく冴え、此処に砂流しが頻りと流れて処々跳び焼きがある。
帽子:湾れ込んで先が掃きかけて中丸となり、返りを深く焼き下げて、所詮「地蔵風」の帽子となる。
中心:生ぶ。鑢目は桧垣。茎尻は栗尻。目釘孔1個。掃表平地に太い鏨「兼道作」とある。
兼道は志津三郎兼氏九代孫で本作の如く美濃伝に相州伝を加味した作域を示した作がある。政常(兼常)、氏房(兼房)と並ぶ室町時代末期の良工として知られる。永禄十二年(1569)に左衛門尉および陸奥守を受領してその名に「大」を下賜され大兼道、そして陸奥守大道と改名した。その子伊賀守金道は三品派といい、文禄二年(1593)に日本鍛冶惣匠の称号を受けて江戸時代を通じて鍛冶受領の斡旋を行った。京都三品派には兼道の次男である来金道、三男の丹波守吉道、四男の越中守正俊がおり、これら一派の作域はさらに相州伝を強く加味し沸匂とも深くなり、桃山時代の強い個性を示した優れた作品を多く残して名高い。本作は寸が延びた平造り小脇指で永禄初年頃の作品であろうと思われる。美濃伝を継承しながらも志津風の板目鍛えに沸が厚く付いて太い地景が絡んで砂流しが良くかかり、慶長新刀三品一派の簾刃の作域を彷彿させる。三品一派の始祖である兼道の誉れ高き脇指である。
附帯の黒腰漆塗分銀地刻鞘小さ刀拵は、鞘刻を栗形より鐺まで銀地筒を58連繋いだ入念作で出来がよい。
縁頭 銘 正長(花押) 鍾馗図 四分一磨地、素銅・赤銅・銀据文象嵌
目貫 秋草図図 赤銅地 容彫 金色絵
鍔 菊花図 鉄地透 両櫃孔
柄 白鮫着 古代紫色糸菱巻
鞘 黒腰漆塗分銀地刻鞘・鐺
素銅はばき、白鞘付属