A74730(S8919)

太刀 銘 石堂運寿是一作 嘉永六年八月日 附)金梨子地菊桐紋散蒔絵鞘翡翠玉装太刀拵

新々刀 江戸時代後期(嘉永六年/1853)武州
刃長 68.2cm 反り 2.3cm 元幅 31.2mm 先幅 21.0mm 元厚 7.0mm

特別保存刀剣鑑定書
令和四年 現代刀職展・研磨の部 優秀賞受賞作

附)金梨子地菊桐紋散蒔絵鞘翡翠玉装太刀拵

参考品





剣形:鎬造り、庵棟。深めの腰反りがついて中峰に結ぶ。鎬地に相対して平地広く、鎬筋が凛として高い重厚な造り込み。(刀身全体写真
鍛肌:小板目鍛えの地鉄はよく詰んで、鎬地は柾目流れごころ。地錵厚く微塵について映りたち、地景顕れる強靭な地鉄。
刃文:元を短く焼きだして、錵匂ともに厚く深い湾れ刃に丁子刃、尖り刃や互の目を交えて広狭変化があり、刃縁には精細な沸が厚く積もり、刃中は丁子足頻りと掛かり、処々砂流しかかり、錵匂ともにますます華やかに明るい光彩を放つ。元先まで均一かつ清涼な小沸出来の丁子乱れは新々刀特有の荒錵がつかず、柔らかな匂いに包まれた同工特有の焼刃を呈している。
帽子:横手で鎮まり、表裏とも焼刃高く、互の目をひとつ焼いて先小丸に返る。
中心:雉子股形の茎は僅かに反りがあり、栗尻に結ぶ。一筋入念にやや粗目に仕立てられた大筋違の鑢に化粧鑢。茎の下方に目釘孔壱個。鎬地の目釘穴上方には太刀銘で『石堂運寿是一作』の七字銘、裏の鎬筋上には『嘉永六年八月日』の制作年紀がある。
 備前伝、小錵本位の丁子乱れに長けた新々刀上々作、『運寿是一』の出色の逸品。
 『運寿是一』、名を『石堂政太郎』は羽州米沢の刀工長運斉綱俊の甥として文化十四年(1817)に江戸で生まれた※。鍛刀の技を伯父の綱俊に学んだのち、六代運寿是一の娘婿となり天保十二年に江戸麻布に鞴を構えて石堂是一の七代目を継ぎ、『運寿斉』と号した。
 『運寿是一』は幕府の御用も勤めて『葵紋』を許され、また水戸の勝村徳勝や会津の松軒元興など多数の有能な門人を育成した上々作鍛冶である。明治初年には高橋長信とともに新政府の招聘に応じ、同二年に号を『竜泉斉』と改めた。明治二十四年十月二十四日歿、行年七十五※。 新々刀期の清麿、直胤、左行秀に次ぐ名手であった。
 『石堂運寿是一精鍛』、『藤原是一精鍛』などと銘をきり、裏に制作年紀を刻する作品が多い。棒樋は僅かにみるものの刀身彫刻は稀有である。
 この太刀は、『運寿是一』三十六歳壮年期の特別な需による精鍛作。元の身幅広く踏ん張りがついて茎の仕立てを雉子股形とし、腰反りが深くついて中鋒に結ぶ古雅な太刀姿をしている。得意とした備前伝を焼いた傑出の一口で、地刃の冴えも見事。つけたりの『朝廷守護武官衛府太刀拵』は狩衣を纏う宮中警護の役人が備えたもの。分銅形の唐鐔を配し、柄には本翡翠が嵌入された俵鋲と飾目釘が穿かれ、菊桐紋高蒔絵散金梨子地塗鞘に配された山形金物・責金物・鞘尻金物と併せて合計二十八箇所におよぶ翡翠が装着され風格がある。

附)金梨子地菊桐紋散蒔絵鞘翡翠玉装太刀拵 (全体写真各部写真
金着唐鐔太刀はばき、白鞘入
令和四年 現代刀職展・研磨の部 平井隆守氏 優秀賞受賞作
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和五十年

佐藤寒山『江戸新刀名作集』 便利堂 昭和四十四年
※運寿是一は文政三年(1820)生まれで行年七十三との説もある