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刀剣徳川 Tokugawa Art
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T255172(S5023)
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刀 銘 菊紋 伊賀守藤原金道 附)矢鱈潤塗鞘打刀拵
新刀 江戸時代初期(寛永十四年~/1637~)山城
刃長74.5cm 反り1.8cm 元幅33.2mm 先幅22.5mm 元厚6.6mm
特別保存刀剣鑑定書
附)
矢鱈潤塗鞘打刀拵
保存刀装具鑑定書(鐔)
剣形:鎬造り、庵棟、寸がのびて身幅広く、元先の幅差ややついて頃合の中間反りがつく。(
刀身拡大写真
)
鍛肌:板目肌やや肌立ち、刃寄り流れて地沸厚くつき、鎬地柾目肌顕著。
刃紋:元に長い直焼出があり、匂口締まりごころに、湾れに互の目、尖刃、箱刃、矢筈刃等交える。刃中匂い深く、足入り、葉が浮かび、砂流しかかる。
帽子:僅かに湾れて先尖って棟に硬く返る、所謂『三品帽子』となる。
中心:茎生ぶ、茎孔一個、勝手下がりの鑢目。剣形の茎尻に棟方平。佩表の目釘穴上方に十六葉の菊紋が刻されている。目釘穴下の鎬筋には『伊賀守藤原金道』の七字銘がある。
三品一門は美濃志津三郎兼氏九代孫で武田信玄の抱鍛冶であった「兼道」が文禄二年(1592)に実子四人を連れて上京したのを祖として、長男「伊賀守金道」、二男「和泉守金道」、三男「丹波守吉道」、四男「越中守正俊」の三品一門は「近江守久道」を加えて京五鍛冶と呼ばれた。
初代『伊賀守金道』は名を『勘兵衛』という。文禄三年(1594)二月十九日に『伊賀守』を受領し、三品一門の家長としての重職を担った名匠。慶長五年の関ケ原の役では徳川家康に刀千振りをの納入した功績により京鍛冶の頭領格を任ぜられ、晩年には朝廷より『日本鍛冶惣匠』に任命されて菊紋を切ることを許された名匠である。三品一門は梅忠明寿一派や堀川国広一門と同等以上の勢力を持って栄えた。
この刀は二代伊賀守金道の特別なる需めによる精鍛作。刃長が二尺四寸五分半と長寸に、身幅広く重ね厚くついた手持ち重厚な姿には頃合の反りがついて切先のびごころとなる雄渾な体躯が印象的。焼刃は総体匂口締まりごころの長い京焼きだしにはじまり、のたれに互の目、箱刃、尖り刃に矢筈刃や複式丁子をまじえてなるなどの刃文は所謂『兼定』に範を採る作風を魅せている。
二代金道は初代の長子、『三品勘兵衛』の俗名を継いで寛永十四年に『伊賀守』を任官し、『藤原』を茎に刻するようになり、十六葉の菊紋を切る。延宝八年十二月二十一日歿。
附帯する打刀拵は高位の武家の普段差しであろう。艶やかな矢鱈捲潤塗色鞘に桐図の縁頭・鐔を配して格調高く所持者の美意識が覗い採れる出来映え。
附)
矢鱈潤塗鞘打刀拵
(拵全体写真・
表
・
裏
)(
刀装具拡大写真
)
縁頭:桐紋散図 赤銅魚子地 高彫 金色絵 無銘
目貫:鶴図 容彫 金色絵
鐔:投桐透図 鉄磨地 地透 毛彫 丸耳 銘 肥後住正里
(
保存刀装具
)
柄:白鮫着 納戸色常組糸諸撮菱巻
金着腰祐乗やすりはばき、白鞘付属
注)『金道』は「きんみち」と訓み慣わしているが、三品派始祖の『兼道』(かねみち)と区別するためであろう。おそらくは「かねみち」が正しい訓みかたとおもわれる。以下同銘数代相継いで刀匠受領の事を司っている。
参考資料:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 1975
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