F18506(S8263)

刀 銘 出雲守藤原氏貞作

古刀 室町時代末期 (天正五年~/1577~) 美濃・尾張
刃長 68.5cm 反り 1.5cm 元幅 30.9mm 先幅 20.7mm 元厚 6.8mm

特別保存刀剣鑑定書

剣形:鎬造り、庵棟。元先の幅差目立たず鎬幅広く、鎬が高く、平肉ついて鎬地の肉を削いだ強靭な造り込みに中峰のびごころ。(刀身拡大写真)(刀絵図
鍛肌:板目に杢目交え肌立ち、処々流れて地沸厚くつき地景はいり、鎬地は柾目肌顕著。刃紋:浅く湾れ、互の目に丁子刃、逆がかった互の目など交えて、ほつれる刃や長い沸筋かかる。
帽子:乱れ込んで掃きかけて小丸に返る、所詮地蔵帽子となる。
茎:区送り、磨上げ。茎尻切り。刃方御幣形の切り込みがある。目釘穴二個、大筋違の鑢目。刃・棟方ともに平。第二目釘穴下方鎬地にはやや小振りの長銘『出雲守藤原氏貞作』がある。
 『氏貞』は『若狭守氏房』の兄。初銘『兼貞』のち『氏貞』と改めて『濃州関住氏貞』などと銘を切る。天正三年頃、朝廷より『権少将』さらには『左近衛権少将』を任官し、同五年頃に『出雲守』を受領した。美濃関より岐阜に移り、のち名古屋に住して『尾州名古屋住権少将氏貞』などと銘を切る。永禄八年から天正十七年にかけての年紀作があり、二字銘『氏貞』の場合は年紀をいれないという。
 次弟の『若狭守氏房』は織田信長のお抱え鍛冶。信長の岐阜入城後の永禄十年(1567)から天正十年(1852)本能寺の変まで仕えたという。
 豊臣秀吉(木下藤吉郎)は藤堂高虎所持の『氏貞』を何度も所望し、最期には『伊勢一国と交換すべし』と懇願したが高虎はそれでも拒絶したという。その逸話から『一国氏貞』と名付けられ、明治になると収集家の須藤宗次郎の所持となり、のちに重要美術品に指定された。
金着せ腰祐乗鑢はばき、白鞘付属
参考資料:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 2008
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 2006
岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会 1984
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 1975