G4592(T6251)

短刀 銘 則長 附)金唐革包鞘合口刀拵

古刀 南北朝末期至室町時代初期 (~応永頃/~1427) 大和
刃長 23.2cm 筍反り 元幅 23.6mm 元重 5.9mm

特別保存刀剣鑑定書

附)金唐革包鞘合口刀拵


 

剣形:平造り、庵棟、筍反り。身幅尋常に重ね厚くつきふくら枯れごころ、茎の造り込みはやや長く所詮、南北朝末期~室町時代初期頃に流布した姿。(刀身拡大写真
鍛肌:やや青黒い地鉄。板目肌を基調に、刃側と棟寄りは流れ肌を交えて柾がかり、総体肌立つ。
刃紋:小沸出来の直刃は僅かに湾れて小乱れを交えてうちのけ交える。刃中は匂い深く充満し、鼠足、ほつれる刃を内包する。焼き落としより水影状の棒映りが立ち上がる。
帽子:焼刃高く、直ぐに中丸となり先掃きかけて棟に深く焼き下げる。
茎:生ぶ、無反り。刃長に比して茎長が長い造り込み。目釘孔二個。勝手下がりの鑢目、棟方平、ここには大筋違の鑢目がある。茎尻は片削ぎ風の極端な刃上がり剣形。佩表の古雅な第一目釘穴下方の棟寄りには『則長』の二字銘がある。
 奈良時代の大和国は大和民族発展の中心地として栄え、同国の大和鍛冶は皇室御用を勤めて作刀に励んでいた考えられる。平安時代末期になると藤原氏による仏教新興政策で活況を呈し、当国の諸寺院の勢力が増強されるに従い、千手院せんじゅいん当麻たいま尻懸しっかけ保昌ほうしょう手掻てがいの諸派が興り、多くの名工が生まれた。
 則長は尻懸派の事実上の祖とされ、文保3年(1319)や暦応3年(1340)の年紀のある作品がある。同工は銘鑑によると初代を正応(鎌倉時代中期)、二代を元徳頃(鎌倉時代末期)、三代を貞治(南北朝時代)、四代を應永頃(室町時代初期)、五代を永享(室町時代中期)頃とし、大和国尻懸派の鍛冶と伝えている。
 大和地方は度重なる僧兵による戦乱のために現存作が少ないこと、長寸の太刀は磨上っているものが多いことや、年紀入りの作刀が稀有であることなどから則長代別の判定に関しては諸説ある。
 本作は『日本刀工辞典・古刀篇』所載の正長(1428)年紀作品の短刀 銘 『□和国則長作 正長□年八月日』と茎仕立と銘振りが近似していることから、同人の作と推測され、銘鑑で云うところの四代の作、大業物・上作。地刃ともに健全で、淡い棒映りがあり趣きのある優品。附帯する桃山様式の古雅な唐花図合口拵は、唐革包鞘に山銅地の唐花図馬針・小柄を充て、唐木柄、筒金、縁頭、口金と鳩目には山銅地に茶漆をかけ古色めく。
附)金唐革包鞘合口刀拵 (拡大写真・拡大写真) 『江戸の短刀コレクション』63頁所載
山銅地はばき、白鞘付属
参考文献 :
藤代義雄 『日本刀工辞典』藤代商店 昭和50年
本閒順治・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣 昭和50年

井出正信・安藤秀幸『江戸の短刀拵コレクション』里文出版 平成九年十月一日