T35978(S837)

刀 銘 丹後守藤原寿命 附)潤菜種塗鞘桜花散図打刀拵

新刀 江戸時代初期(寛永頃/1625~)尾張
刃長 76.2cm 反り 1.2cm 元幅 31.9mm 先幅 23.2mm 重ね 7.6mm

特別保存刀剣鑑定書

附)潤菜種塗鞘桜花散図打刀拵

剣形:鎬造り、庵棟。刃長二尺五寸一分半の長寸の打刀。やや浅めの反りがつき、元身幅広く、元先の幅差さまで開かずに中鋒延び、手持ち重厚に(802㌘/はばき除く)、寛永頃の典型な豪壮な造り込みをしている。(刀身拡大写真
彫物:表裏にははばき上丸留めで、樋先の上がる片チリ棒樋の彫物がある。
鍛肌:互の目に尖り刃、丁子刃を交えて処々跳び焼きかかる。刃縁に沸厚くつき、刃中も沸づいて匂い深く、砂流し頻りとかかる。互の目・丁子の沸足は刃先に放射して明るく冴えて沸の豊かな働きがある。
帽子:焼刃高く掃きかけて、一枚風となる。
茎:生ぶ。目釘孔一個。茎尻入山型。大筋違の鑢目、棟肉豊かについてここにも大筋違の鑢目がある。目釘孔下方の鎬地には『丹後守藤原寿命』の長銘が刻されている。
 『寿命としなが』もしくは(じゅみょう)ともいう。名は『近藤助左衛門』、天正八年(1580)美濃国関に生まれ、慶長年間に尾張清洲鍛冶町に移住して『岩捲寿命』といった。
 寛永二年(1625)に『丹後守』を受領、尾張徳川家から俸米を受けて同五年(1628)には名古屋城下戸田町に鞴を構えた。慶安四年(1651)、藩主の徳川義直の命で名古屋城内蓄蔵の南蛮鉄を以て鍛刀し、功労で十人扶持を受けた。『丹後守藤原寿命 以南蛮鉄作之』の遺作がある。寛文三年(1663)、八十四歳の長命で歿した。
 二代『寿命』は助左衛門の三男。同じく丹後守を任官して寛文二年(1662)六月十二日に尾張徳川家より十人扶持を受け、天和三年(1683)には僧位『法橋』に任ぜられて『法橋弘安斉寿命』と称した。二代藩主の徳川光友の差料御用を勤めた。以降、幕政時代をつうじて尾張徳川家の御用を勤めた名族鍛冶である。元来『寿命』は縁起の良い瑞祥銘で珍重された。

 桜花図の刀装具で纏められた尾張拵が附帯している。
附)潤菜種塗鞘桜花散図打刀拵 (拵全体写真刀装具各部写真
  • 縁頭:桜樹図、朧銀石目地、高彫、色絵、無銘
  • 目貫:扇子に桜花散図、赤銅容彫、色絵
  • 鐔:桜花図、鉄地木瓜形、金銀象嵌、無銘
  • 柄:白鮫着せ、納戸色常組糸諸撮菱巻
山銅地赤銅着せはばき、白鞘付属
参考文献:石井昌国・本間薫山『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年