M286(S2175)

刀 銘 河内守国助 附)黒漆塗刻鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(慶安頃/1648~) 摂津
刃長 70.6cm 反り 1.9cm 茎長 22.3cm 元幅 32.4mm 先幅 22.0mm 元厚 7.7mm
特別保存刀剣鑑定書
甲種特別貴重刀剣認定書

附)黒漆塗刻鞘打刀拵
保存刀装具鑑定書


剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、元先の幅差さまで開かずに頃合の反りがついて中鋒延びる。均整のとれた手持ち重厚な体躯は威風堂々としている。(800㌘/はばき除)(刀身拡大写真
鍛肌:腰元焼き出しの鍛肌は板目流れて肌立ちごころ、小板目肌がよくつんで地沸厚くつく。
刃紋:長い大阪焼き出しに互の目、拳丁子、矢筈刃を交えて焼刃高く、処々鎬筋に及び、物打ちに玉焼きがある。刃縁には沸が厚くつきり、丁子の沸足が刃先に放射し、刃中には砂流し、沸筋頻りとかかり明るく冴えて華美な焼刃には沸の闊達な働きがある。
帽子:横手下で鎮まり、焼刃高く、掃き掛けごころに中丸となり、棟深く焼き下げる。
茎:生ぶ、たなご腹風の茎は刃長に比して長い。目釘孔一個。鑢目は大筋違。棟方は平でここにも大筋違の鑢がある。茎尻は急角度の刃上がり栗尻。佩表の鎬筋、目釘孔下方には『河内守国助』の五字銘がある。

『中河内』、河内守国助の内外完存の優品
『河内守国助』、国助二代。江戸時代前期の大阪新刀、上々作刀工。

 二代の『河内守国助』は寛永五年(1628)生まれ、初代国助(注)の長子。慶安元年(1648)、二十歳で河内守を受領、三代続く河内守国助の真ん中に当たるため、俗称『中河内』と呼称されている。『河内守藤原国助』、『河内守国助』と鏨を運ぶ。元禄十一年八月二十一日没(1698)、行年七十二。
 華やかな丁子乱れを得意とし、特に拳形丁子と称されている丁子の刃文が握り拳のように重なり合った刃文は彼の創始といわれている。精良でよく詰んだ小板目肌の地鉄に拳形丁子を交えた明るく冴えた互の目丁子刃を焼いて、『新刀一文字』と称揚された。茎は刃長に比して長く、村正風のたなご腹風をして、大阪新刀には珍しく、その殆どに化粧鑢を施さない特徴がある。
古研ぎのため、処々轢け跡、僅かな錆があります。

 附)黒漆塗刻鞘打刀拵保存刀装具鑑定書
  • 縁頭 花菱・卍紋市松模様図 赤銅 高彫 色絵 無銘
  • 目貫 三鈷柄剣図 赤銅地 容彫 色絵
  • 鐔 桐紋散唐草図 竪丸形 赤銅地 高彫 色絵 両櫃孔 金覆輪 無銘
  • 柄 白鮫着 生成常組糸諸撮菱巻
金着せ時代はばき、白鞘付属
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年


注)初代国助は伊勢神戸(かんべ)の生と伝える。正保四年五月三十日没(1647)(大阪竜海寺過去帳菩提寺に依る)とあり、二代と三代の年齢差により慶長初年頃の生と推考される。京に上り堀川国廣の門を敲いたのは慶長十六から十七年頃か、師である国廣晩年期にあたり、事実上の師は越後守国儔であることは作域や銘振が酷似していることから首肯できる。国廣歿後は活気溢れる摂津に出附して寛永初年頃に河内守を受領。老師である巨匠国廣の伝を洗練昇華させ活気ある独自の作域を樹立し、国貞とともに大阪新刀隆盛の礎を築いた