0
刀剣徳川 Tokugawa Art
<< 戻る
T20077(T5004)
+運賃
両刃造り短刀 銘 兼延
古刀 室町時代中期(明応頃/1491~)尾張
刃長 18.1cm 元幅 21.3mm 元重ね 6.2mm
保存刀剣鑑定書
附)
金泥石目地塗鞘片手巻柄右手合口短刀拵
剣形:両刃造り短刀。刃長六寸〇分(18.1cm)と頃合の寸法に、先フクラ枯れた刺突に長じた造り込み。(
刀身拡大写真
)
鍛肌:板目肌が総じてよく練れ、処々流れる。板目・柾目の地景入り、白けごころの映りが立つ。
刃文:両区を僅かに焼きおとし、広直刃の刃縁に小沸が厚くついて、鼠足頻りとかかり、金筋・砂流し、ほつれる刃を交えて明るく冴える。
帽子:中丸ごころに先烈しく掃きかける。
茎:生ぶ、目釘孔一個。栗尻張る。刃長に比して長い茎、表の鑢目は『逆鷹の羽』、裏には『鷹の羽』の鑢目がある。茎表の目釘孔上方鎬筋やや右側には古雅な二字銘『兼延』が刻されている。
『兼延』は銘鑑よると、直江志津一門として応安頃(1368~)にその工銘が見られる。同派は南北朝統一の需要の低迷による衰退や度重なる河川の氾濫により、直江の地を離れて関や赤坂の地に移住したという。
室町期、明応頃(1492~)の『兼延』は小山(
美濃加茂市下米田町小山
)に住した『兼存』の子と伝えられる。のちに尾張の地に移住して尾張鍛冶の礎を築いたという。
この一派は、志賀(
現名古屋市北区金城町
)の地や北方の山田町(西春日井郡山田村)に住したことから、『志賀関』もしくは『山田関』と呼称されている。同派には『兼延』をはじめ、『兼次』、『国次』等がいるが慧眼する同派の作品の多くは明応頃の『兼延』で、まま『兼次』の作刀がある。
室町時代中期の短刀は、総じて寸が短く、内反りごころとなるものや、両刃造りを慧眼することがあり、刃長に比して茎が長いものが多い。刺突を主念頭においた所謂、鎧通しと呼ばれる剣形を多く慧眼する。
この『兼延』短刀は打刀の添指として重用されたのであろう。両刃造りの鋭利な体躯に切先の焼刃がさらに強く烈しく掃きかける強靱な焼刃の構成は覇気に満ち溢れている。
附)
金泥石目塗鞘片手巻柄右手差合口短刀拵
(
表
・
裏
)
右手差の合口拵は縁頭、鯉口、返角は角製仕立てに目貫は狛犬図。二ノ切白鮫着せの立鼓柄に紺漆革で片手巻き。この拵は右手咄嗟の刺突を念頭に右手に配された返角と鯉口間を削ぎ落し右腰側の帯に鞘を巻きつけて密着させ、鞘の責金具は鞘口に指一本分と接近させて配し、右手ひと握りで瞬時の抜刀を可能にしたという。
このような右手指拵の起源は柳生の忍びが懐剣として用いたとも云われている。
山銅地一重はばき、白鞘入り。
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑・古刀篇三』大塚工芸社、昭和四十四年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期 美濃刀工の研究』株式会社里文出版、平成十八年
!
スマートフォンモード
To create online store ShopFactory eCommerce software was used.
0
日本語 (Japanese)
English (English US)