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刀剣徳川 Tokugawa Art
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M21079(S836)
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刀 銘 一 浄雲斉羽山円真造之 贈高石信太郎氏 大正八年壱月吉日 干時年七十四(花押)
現代刀 (大正八年/1919) 東京都
刃長68.6cm 反り2.0cm 元幅31.4mm 先幅20.8mm 元重7.2mm
保存刀剣鑑定書
剣形:鎬造り、三つ棟。身幅、重ねとも頃合に、平肉ついて深めの中間反りがつき猪首切先に結ぶ。(
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鍛肌:地鉄は小板目が微塵に詰んだ精良な梨子地鍛に地沸が微塵につく。
刃紋:錵出来の直ぐ刃調浅い湾れ。刃縁には沸厚く積もり刃中足入り、匂い口頗る明るく冴える。
帽子:直ぐに大丸に返る。
茎:生ぶ、勝手下りの鑢目、平地の一分に檜垣鑢がある。目釘孔壱個。茎尻は刃上がり栗尻。茎の棟方小肉つき大筋違の鑢目。太刀銘で一 『浄雲斉羽山円真造之 贈高石信太郎氏』の長銘および所有者、裏には『大正八年壱月吉日 干時年七十四(花押)』の制作年紀および年齢が刻されている。
羽山円真、本名は鈴木正寬。現在の豊橋市、吉田藩家臣の子として弘化二年(1845)に生まれた。父同様に豊橋藩士として仕えていたが一念発起して刀工に転じ、源清麿の高弟、鈴木正雄に師事して江戸下谷区谷中清水町に鞴を構え、初銘は『正寬』、『浄雲斎』と号した。『大正正宗』と称揚された業物を制作し、近世試し斬りの名人でもあった。
同工は清麿に多大なる影響を受けた新々刀最期の刀匠であり、明治・大正を代表する名工である。自ら粟田口伝を専らと称して古作山城伝を得意として『大村益次郎』の佩刀を鍛造し、明治30年『伏見宮貞愛親王』より小烏丸模造を拝命奉納以降は、熱田神宮で鍛刀した『浄雲斉羽山円真造之 明治四十二年二月日さくらかり干時六拾四 』がある。後年は毛抜形蕨手刀などの古剣の復刻模作を多く手掛けるようになった。
月山貞一が大正七年(1918)に84歳で、羽山円真が同九年(1920)の75歳、宮本包則が同十五年(1926)に97歳で亡くなると、新々刀期の刀工はほぼ途絶えた。
表題の刀は羽山円真最晩年の作。太刀銘に刻された銘文には「一」が切付られ、腰反りのついた優美な姿は、後鳥羽上皇の御番鍛冶粟田口派の古作太刀を模して造られたものであろう。『東郷ハガネ』を用いた地鉄は緻精細な梨子地肌に入念に鍛造され、刃縁には沸が厚く微塵について匂口頗る明るく、細かな刃中の働きが特筆される地刃の冴えた優品である。
古研ぎのため処々に錆があります。
金着太刀はばき、白鞘入
参考文献:岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年
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