S36546(S8889)

刀 銘 一峯

新刀 江戸時代初期 (寛永頃/1624~) 近江
刃長 71.6cm 反り 1.8cm 元幅 32.8mm 先幅 20.6mm 元重 8.0mm

参考品

剣形:鎬造り、庵棟。寸のびて、身幅広く・重ね厚くつき、反りやや深く中峰のびる。寛永頃に流布した豪壮な打刀。 鍛肌:板目肌つみやや流れ肌交じり、地沸厚くつき地景入る。鎬地は柾目肌。 刃紋:短い直ぐの焼き出しがあり、互の目に大房丁子・箱刃・蛙子丁子に処々跳び焼きかかり、物打ちは濤瀾風の刃を交えて一部の焼刃は鎬筋まで及ぶ頗る華やかな刃文。刃中は沸足放射して乱れの谷に沸厚く凝り細やかに砂流しかかる。 帽子:直ぐに中丸に返る。 中心:生ぶ、先栗尻、鑢目大筋違に僅かに化粧鑢がある。目釘穴一。指表の棟寄りに太鏨でやや大振りの二字銘『一峯』がある。  初代『一峯』畢生作。沸主調の湾れに大互の目を交えた豪華絢爛な作風を呈するものと、丁子乱れを主調とした作風の二様が見受けられるが、どちらかと云えば前者の方が多いようである。  本作は頗る豪快な造り込みを有して重ね頗る厚く豪壮かつ豊満な体躯を湛えたどっしりとした重量が頗る印象的。出来がよろしく健全な体躯は賞揚される。  この刀に附されているはばきには表紋に『九曜巴』、裏紋には『五瓜に九枚笹』が刻されている。『九曜巴』は別名『板倉巴』と称され、京都所司代の伊予松山藩、板倉氏の定紋であり、剣豪宮本武蔵もこの『九曜巴』を用いたと伝える。
  近江石堂派の一峯は初・二代があり、寛永頃(1624~)の初代は近江石塔住。二代は俗名『佐々木善四郎』を刻し、はじめ高木(神崎郡永源寺町高木)に鞴を構えたのち、江戸赤坂へ移住したという。初代の銘は隷書体風に太鏨で『一峯』と二字銘に刻し『峯』最終画を下に長く切る。二代は通常の書体で俗名を添え『佐々木善四郎源一峯』などと銘をきり、『以南蛮鉄造之』の添銘したものがある。
 室町時代後期、一文字助宗末流を出自とする江州蒲生住助長を祖とする石堂鍛冶は石塔寺(いしどうじ)の南方約300メートルに居住したと伝えられる。石堂派は近江に興り、江戸時代になると、紀州、大阪、筑前、江戸に分派しておおいに繁栄した。
鞘書:佐々木一峯 二字有銘之珍品 刃長二尺三寸六分有之 昭和丙午年初夏吉日 寒山誌(花押)
 (備考)近江の地からは名匠達が輩出されている。近江刀工の遺跡は『長浜びわこ大仏』の沖合に下坂鍛冶の作業場遺跡があり同派から初代康継を輩出。中曽根町には虎徹の井戸跡が祀られている。高木貞宗の里、高木村からは近江守助直が現れ、中曽根町から5キロメートルほど西、現在の須越町には月山貞一の生誕地がある。

参考文献:
岡田孝夫『近江刀工の遺跡』(財)滋賀県文化財保護協会