K55128(T8637)

短刀 銘 月山 附)蛇の目蔦紋散昼夜合口拵

古刀 室町時代前期(永享頃・1429~)出羽
刃長19.5cm 筍反り 元幅17.2mm 元重ね5.1mm

保存刀剣鑑定書

附)蛇の目蔦紋散昼夜合口拵

 

剣形:平造り、低い庵棟。僅かに内反り小振りの懐剣で重ね尋常にフクラ枯れごころ。刃長に比して茎が長い造り込みで室町時代前期の古雅な姿をしている。(刀身拡大写真
鍛肌:鍛接面がよく錬れて肌目が所謂綾杉状に整い地鉄やや黒く沈んで潤いがある。綾杉肌に呼応して地沸が地斑調について淡い乱れ映り状となり古雅な趣きがある。
刃紋:刃縁は小沸厚くついた直基調の湾れ乱れに小互の目、小乱れを内包して刃中は匂い深く充満する。刃縁には綾杉肌の地景に呼応して金線・砂流しがある。棟には湯走り状の棟焼きがあるなど、地刃ともに沸匂の古雅な働きがある。
帽子:刃沸豊かに絡んで直調に焼刃高く先が強く掃きかけて乱れ中丸となり棟に深くかえる。
茎:生ぶ。無反りで刃長に比して茎長が92.7mmと長い造り込み。大きく穿かれた目釘孔壱個。浅い勝手下がりの鑢目に棟肉平。茎尻は栗尻張。古雅な目釘孔下方に二字銘『月山』とある。
 奥州古鍛冶は平安時代の早くから発達し、その中心地は平泉に近い舞草鍛冶や宝寿が相当繁栄し、豪族奥州藤原氏の庇護のもと全国屈指の刀工数を示していた。現存するものは、陸奥には鎌倉時代以降の宝寿と舞草があり、出羽には南北朝時代を最古とする月山一門の作刀ををみることができる。
 月山鍛冶は霊峰出羽三山の一つ、月山の山上で綾杉の秘術をもって知られる刀工集団で、修験者のために鍛刀したと伝えられる。往時は寒河江・谷地辺りが月山刀工集団の中心地と伝えられている。始祖は奥州月山鬼王丸と言う。修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験道の実践者、山伏と月山鍛冶は密接な繋がりがあったと推量できよう。戦国乱世の終りと共にその姿を消し、おくの細道で芭蕉は『谷の傍らに鍛治小屋と云ふ有り。此の国の鍛治、霊水を撰びて爰に潔斎して剣を打ち、終に月山と銘うを切って世に賞せらる。・・・』と著している。
 約二百年の時を経て、浪花の地に『月山弥八郎貞吉』によって蘇り、養子『月山弥五郎貞一』の技量をもって揺るぎなき名声を築き、二代目月山貞一は昭和46年4月に人間国宝(重要無形文化財)に認定され現代に続く名流となっている。
 中世の古月山には年紀はないが、二字銘の作に室町初期頃とおもわれる綾杉肌の整った作刀が見受けられ、さらに時代が下りて『月山 文明二年八月日』や『羽州住月山 明応九年』らの短刀は綾杉肌の整わない単調な作域を示すようになる。室町時代末期の月山は『月山正次』(文亀五)、『月山吉久』(永正十・十一)、『月山正信』(永正二)、『出羽月山兼永』(天文十)等、月山を冠称として個銘をきる風習があり、また『月山近則』の作刀にみられる特徴は、月山派の伝統的特徴を失って板目の鍛肌に末備前に似た互の目丁子を焼くなど、他流との交流や時代の要請に合致する作域を示す傾向がある。
 表題の短刀は月山本伝の特徴を明白に有した小振りで頃合の姿をしており、ややフクラの枯れて筍反りを有する古雅な姿。焼刃は焼き落としがあり地鉄鍛は整った綾杉肌を示す。地沸が綾杉状に絡んで陰陽となり、乱れ映りを形成するなど室町黎明期の月山鍛冶の特徴を有する秀品。 厄を斬り、開運を念じる『お護り懐剣』として崇められてきた月山の短刀は神仏の加護や除災を願う護符としての意味合いが強く込められいる。
 蛇の目蔦紋散昼夜合口拵は右手指拵の様式で、縁・頭・鯉口・栗形・返角を水牛角所とした昼夜塗分鞘には孔雀石と卵殻を微塵に散らして蛇の目紋と蔦紋を蒔絵で配し、二ノ切白鮫着せの僅かに立鼓柄に仕立て金茶色片手巻き、目貫には子孫繁栄を念じた子犬を配している (合口拵裏側)(目貫拡大写真

時代研ぎ、銀無垢はばき、白鞘付属
参考文献:
本間順治、佐藤貫一『日本刀大鑑』(古刀篇三)大塚巧藝社、昭和四十四年
本間順治、佐藤貫一『新版日本刀口座』(古刀鑑定篇中)雄山閣、昭和四十五年
『おくの細道』 講談社学術文庫