N3830(S1497)

刀 銘 尾州住片山源勝重作 観世音菩薩 受勝果尊者 附)朱漆塗鞘打刀拵

新々刀 江戸時代最末期(慶應頃/1865~) 尾張
刃長 73.5cm 反り 1.4cm 元幅 34.0mm 元厚 10.0mm

保存刀剣鑑定書

附)朱漆塗鞘打刀拵

剣形:平造り、庵棟。二尺四寸二分五厘と寸が延び、身幅広く重ね頗る厚くついて浅めの反りが付き、元先の幅差さまでつかずに大峰に結ぶ豪壮たる、所謂『段平造』と呼ばれる姿をしている。はばきを含む刀身重量は1000㌘もあり両腕にどっしりと重量がある。(刀身拡大写真) 鍛肌:板目肌流れて杢を交えて肌立ち、鉄色やや黒づんで地錵がつき、太い地景が湧き出す強い肌合いを呈して力強い。 刃紋:腰元浅く焼き出す沸出来の湾れに大互の目は飛び焼き・棟焼きを交えて所詮『皆焼』となる。刃縁には粗めの沸が凝り、沸厚くついてここに稲妻や金線かかり、砂流し頻りと流れて刃縁明るく冴える。刃中は匂い深く充満して処々に葉が浮かび、互の目の沸足が明るい閃光を放ち刃先に向かって放射している。 帽子:乱れ込んで火炎風に強く掃きかけて返り深く棟焼きに繋がる。
中心:生ぶ。長めの茎は刃側を舟底風におろして刃上がり栗尻。鑢目は大筋違に化粧鑢、棟小肉つきここにも大筋違・化粧の鑢目。茎孔壱個。佩表の上方棟よりに大振りの長銘『尾州住片山源勝重作』、裏には『観世音菩薩』の称号と臨済宗の高僧名『受勝果尊者』が刻されている。

 寛文頃(1661-)の勝重初代は伊勢桑名に住した千子派の刀工で、業物として知られのちに名古屋関鍛冶町(現、中区丸の内三丁目)に移住して三河守を任官した尾張刀工。
 幕末頃の同派の勝重は名を片山彦一郎と云い、「尾張国知多郡人片山勝重」などと銘をきる作刀があることから尾州知多郡に於いても駐鎚した。元治元年、二年および慶應年間をつうじての年紀作がある。いずれの作刀も豪壮華麗な造り込み。
 この勇壮なる断平打刀は幕末動乱期の世相を如実に物語る勤皇・佐幕志士らが挙って需めた特異な造り込みである。茎に刻された『観世音菩薩』は悩める者を救い大いなる慈悲の心で人々を癒し、その教えを説いた高僧『受勝果尊者』の尊称は武士達の揺るぎない信念の証であろう。
 往年の講武所拵が附帯しており、内外ともに勤王志士の気風を今に伝える優品である。

附)朱漆塗鞘打刀拵拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:雲龍図、鉄地、高彫、金象眼、鉄磨地鐺、無銘
  • 目貫:旗印、十文字槍図、赤銅容彫、色絵
  • 鐔:印文水玉図、鉄地、木瓜形、鋤下彫、真鍮玉象嵌、銘『信正』
  • 柄:白鮫着、納戸色常組糸諸捻菱巻
銀地はばき、白鞘付属
参考文献:
岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年