A29297(T5672)

短刀 銘 廣光 附)共鐔柳文茶潤塗鞘短刀拵

古刀 室町時代後期 (明応頃/1492~) 相模
刃長 21.8cm 無反り 元幅 21.6mm 元厚 8.1mm

保存刀剣鑑定書

附)共鐔柳文茶潤塗鞘短刀拵



 

剣形:平造り庵棟。寸詰まり身幅控えめに重ね厚く、ふくら枯れごころの無反りの短刀。(刀身拡大写真) 鍛肌:地鉄やや青く沈み地沸厚くつき、大板目肌肌立ち棟寄り流れる肌目顕著な相州鍛錬の地鉄。 刃文:沸出来の湾れ刃に互の目をまじえた大乱れ。平地に湯走り状の飛び焼きかかり切先棟焼き深く焼き下げる。刃縁にはやや粗めの沸がよく絡んで匂口深く、鍛肌に呼応した砂流・金線が表出して複雑に乱れ総体野趣に富む焼刃。 帽子:焼刃強い大乱れの先は火炎風に尖り掃きかけ、深く返り棟焼きになる。 茎:生ぶ。刃側は舟底風となり茎尻寄り棟に僅かに反りがある。目釘孔一個。栗尻、鑢目は勝手下り。茎棟小肉がついてここにも勝手下りの鑢目がある。目釘孔下方中央には古雅な二字銘『廣光』がある。   『廣光』は相州伝法を継承する鎌倉の山の内鍛冶。南北朝期の初代『廣光』は『正宗』の弟子もしくは実子と伝えられ、以降室町時代の大永頃(1521~)まで数代に亘り相州伝の正系を継承した名流。相州伝法は強熱急冷の作業など鍛刀の技術面で高度な熟練と困難を伴ったために室町時代末期になると、父祖の荒沸本位・板目鍛えの相州伝鉄則を厳守することが困難となり他伝を加味した合理的な作風に変化していく。  弘治頃(1555~)の『廣光』は新興勢力の北条氏に仕えて小田原城下へ移住、また元亀頃(1570~)の『廣光』は駿河島田に鞴を構えている。  この短刀は、無反りで頗る厚い元重ねにふくらを控えた頗る鋭利な、所謂『鎧とおし』の体躯をしており、明応頃(1492~)の『廣光』作と鑑せられる。相州伝法の硬軟の鋼を鍛練した大板目の地鉄に強熱急冷の湯走り・棟焼がかった強靭な焼刃は刺突に備えての実利を重視したもので凄味がある。五百数十年前の尚武の気風溢れる戦国時代の、雄渾たる武士の息吹を今に伝える。相州伝の茎形状が舟底風となる体躯は、武州下原派、駿河の島田派、伊勢の千子派に影響を与えた。 附)共鐔柳文茶潤塗鞘短刀拵(拵全体写真・ / 刀装具詳細写真)  魏志倭人伝に範を採った、『智者避危於無形』と刻された朧銀の短冊は柿渋染琴糸で柄頭に巻き締められている。一見したところ木瓜型の鐔は独立しているかのように見えるが、これは銀切羽を介して茶潤柳紋塗鞘と一体として構成され、鐔に穿かれた小孔と短冊先端の凸状留具を合致させて固定し鞘抜を防ぐように配慮されている。裏の真鍮飾裏目貫と相俟った洒落たもので他に類をみない珍重な短刀拵。
  • 短冊鞘留金具: 朧銀磨地『智者避危於無形』(注)
  • 共鐔:木地黒呂色塗
  • 目貫:鉈図、赤銅容彫、色絵
  • 小柄:笹に豹虎図、赤銅魚子地、高彫、色絵、無銘
  • 鞘:共鐔柳文茶潤塗
  • 柄:柿渋色琴糸平巻
  • 菊座真鍮地飾目釘
山銅地銀消一重はばき、白鞘付属(注) 『智者は形にならないうちより危険を避ける』の意
参考文献 : 本間順治・石井昌國 『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年