A78227(T5007)

短刀 銘 廣次 附)巻貝螺鈿青貝微塵散塗分鞘合口拵

古刀 室町時代中期 (明応頃/1492~) 相模
刃長 24.0cm 無反り 元幅 25.0mm 元厚 5.9mm

保存刀剣鑑定書

附)巻貝螺鈿青貝微塵散塗分鞘合口拵

商談中

 

剣形:平造り庵棟。八寸弱の頃合いの寸法で重ねやや厚く、ふくら枯れごころの短刀。(刀身拡大写真
鍛肌:青く沈んだ地鉄は大板目肌流れて肌目烈しく顕れる相州鍛錬の地鉄。
刃文:沸出来の湾れ刃に互の目をまじえた大乱れ。平地全面に焼刃跳んで湯走り・棟焼きかかり所詮皆焼風となる。刃縁にはやや粗めの沸がよく絡み鍛肌に呼応した金筋が表出して複雑に乱れて野趣に富む焼刃。
帽子:乱れのまま火炎風に掃きかけて返り深く棟焼きに繋がる。
茎:舟底状の生ぶ茎には目釘孔三個。先刃上がり栗尻、鑢目は浅い勝手下り。棟に小肉ついて勝手下りの鑢目。第一目釘孔棟寄りには古雅な二字銘『廣次』がある。 

 『廣次』は、相州鎌倉の『山の内』鍛冶『廣光』の後裔と伝えられ、南北朝時代永徳頃(1381~)に『廣次』の工名がはじまる。以降室町時代中期にかけて同銘が数代おり、以降は若狭国小浜に移住して『冬廣』一門に及ぶという。。
 本作は時代明応頃(1492~)の廣次と鑑せられる。市川氏、名を長兵衛という。銘鑑によると、明応九年(1500)にはじまり、以降文亀二年(1502)、永正十年(1513)までの作刀がある。
 重ね厚めにふくらを控えた鋭利な筍状の体躯は隙間を貫く鎧通しの典型。相州伝の手法を踏襲する硬軟の鋼を鍛えた大板目の地鉄には強熱急冷の皆焼・棟焼きの焼刃を施して刺突の実利を重視したもの。強靱な地鉄と焼刃の構成は尚武の気風に溢れ雄渾たる武士の息吹を今に伝えている。
 相州鍛冶達の茎刃方の尻が窄まる所詮、舟底茎の形状はのちの武州下原派、駿河島田派、伊勢千子派に影響を与えた。

附)巻貝螺鈿青貝微塵散塗分鞘合口拵前面写真背面写真刀装具拡大写真
  • 総角所:(縁頭・鯉口・栗形・裏瓦・鐺)
  • 目貫:武者図 赤銅容彫 金銀山銅色絵
  • 小柄:幟采配図 赤銅魚子地 高彫 金銀色絵 無銘
  • 柄:白出鮫着
銀地はばき、白鞘付属
参考文献 :
本間順治・佐藤貫一『日本刀大鑑 古刀篇一』大塚巧藝社 昭和四十三年

本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年