F58739(W1803)

小脇指 銘 豊後守源正全 延宝二年八月日 六拾三才作

新刀 江戸時代前期(延宝二年/1674) 尾張
刃長 32.2cm 反り 0.4cm 元幅 29.5mm 元重 5.9mm

保存刀剣鑑定書


 

剣形: 平造り、庵棟。寸延びて身幅広めにやや薄めの重ねがつく。頃合いの中間反りがついてふくら張る勇壮な体躯。(刀身拡大写真
鍛肌:鉄色青く冴え、板目肌処々流れて肌目起ち、地沸ついて板目の地景入る強靭な地鉄。
刃文:小沸出来の焼刃は元を浅く湾れて焼きだし、腰高で腰の開いた大互の目に腰の括れた丁子を交える。刃縁はよく沸づいて乱れの谷は沸足が凝り、刃中匂が満ち総体賑やかな大乱れ。
帽子:乱れ込んで先中丸となり棟深く焼き下げる。
茎:生ぶ。目釘孔二個(内一個埋)。刃上がり栗尻。檜垣の鑢目、棟肉平でここに大筋違の鑢目がある。指表の棟寄りには大振りの太鏨で『豊後守源正全』の長銘、指裏には制作年紀『延宝二年八月日』および数え年『六拾三才作』の添銘がある。
 正全(まさとも)は尾張の産。名を石田善左衛門という。美濃国板倉関『正利』の末葉で、はじめ山城国、三品金道の門人となったのち名古屋鉄砲町に住した。年紀は明暦三年にはじまり延宝九年までの添銘をみる。鎬造りの刀、脇指が多く、短刀の作例は稀有である。戦国時代における美濃刀の優れたキレ味と頑強さが世に知られると新刀期以降は多くの美濃鍛冶は有力譜代大名に請われて各城下町に移住している。尚武の気風を尊ぶ尾張徳川家が藩工として招聘した正全(まさとも)は相模守政常・伯耆守信高・飛騨守氏房と列び尾張新刀鍛冶の筆頭と称され、互の目乱れ、矢筈刃などの大乱れは尾張刀工中出色のもので地刃ともに冴える。
 この勇壮たる段平造は尾張藩士の特別な需により制作されたのであろう。制作年紀のみならず数え年の添銘までも記されて資料的にも頗る珍重であり同工は慶長十五年(1610)の生まれであることが判明する。茎の錆色優れ躍動感溢れる鏨運びの銘文が深く力強く刻されている。
山銅腰祐乗鑢はばき、白鞘入
参考文献:
岩田與『尾張刀工譜』文化財業書台八五号、昭和五十九年

石井昌國・本間薫山『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年
*数え年『六拾三才作』の添銘から慶長十五年(1610)の生まれであることが判明する
*『正全』の読みについて『尾張刀工譜』では”まさとも”と記され、『日本刀銘鑑』では”まさやす”もしくは”まさみつ”と表記されている
*名古屋城築城開始は慶長十五年(1610)