応仁頃の作と見立て応仁鐔の名を冠している。この鐔に用いられている真鍮は大陸からの渡来品と云われている。当時真鍮は金に次ぐ貴重な金属として扱われていたことを想うに、この鐔は実に豪華品であった。
鉄を慎重に選別し鍛練に意を注いだ薄手の丸形軟鋼を鎚目仕立てとして、点と線の連続で真鍮を象嵌している。僅かに厚く肉置きされた幅広土手耳に四列の霰象嵌が整う。切羽台の土手際には真鍮象嵌の輪郭を採る。斜め上方には猪目の陰透、端縁部に廻された線象嵌は美しい。僅かに碁石状となる土手耳の極薄の端辺は小粒の鉄骨が顕れている。これらの肉置きや切羽台の鎚目地は甲冑師の下地を覗うことができよう。精巧な細工はみられないものの、室町時代乱世の作品であることを首肯でき無骨感で溢れている。実利を念頭にした甲冑師鐔にさらなる美観を求めた剛毅朴訥な鐔である。漆黒の軟鋼と真鍮の妙なる色彩は古色溢れている。五百五十有余年の経年で土手耳の霰象嵌は欠損跡があり、土手際の輪郭象嵌・猪目端縁線象嵌が消失している。獣である猪の目を当用した「猪目」は魔除けとして重用された。
応仁鐔の系譜は桃山時代の平安城鍔や与四郎鐔へと受け継がれた。
室町時代中期