S70848(S2060)

刀 無銘 新々刀海部 附)黒蝋色塗鞘定紋打刀拵

新々刀 江戸時代後期(文化頃・1804~) 阿波
刃長 69.5cm 反り 1.4cm 元幅 27.3mm 先幅 19.7mm 元厚 7.6mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘定紋打刀拵

剣形:鎬造り、庵棟。身幅頃合いに重ねが厚くつく。やや浅めの反りがつき、元先の身幅の差がさまで開かず中峰に結ぶ品格ある打刀姿。(刀身拡大写真) 鍛肌:地肌は小板目肌が密に詰んで細微。処々流れて肌立つところがある。 刃紋:小沸出来の広直刃に小乱れ交える。刃縁に小沸が厚く絡んで僅かに二重刃・食違刃を交えて明るい。 中心:生ぶ、無銘。切鑢目、棟小肉ついてここにも切鑢目がある。茎尻は刃上がりの栗尻。目釘孔壱個。 帽子:中峰猪首。ふくらに沿って直ぐに中丸となる。  四国は地勢上中央から離れていたため、南北朝以前はなだたる名工達は輩出されなかった。室町時代初期になると大和より吉光が土佐に来訪し、続いて波平一族と伝わる氏吉が海部の地で鍛刀をはじめ、海部川筋には五十数人の刀工を輩出たという。とりわけ氏吉一派は華実兼備の作刀を遺し、殊更斬れ味に優れたという。  室町時代末期、天正三年(1575)の長宗我部元親の海部進軍によって海部城は陥落し海部刀工は四散したという。当地で作刀を続けたのは氏吉と氏次ぐらいであった。 江戸時代、万治三年(1660)に海部氏吉は蜂須賀光隆に士分に取り立てられ、三十三人扶持を与えられて徳島城下に移住した。以降十代にわたり阿波藩工として作刀を続けている。

附)黒蝋色塗鞘定紋打刀拵  (打刀拵全体画像刀装具拡大画像
  • 縁:金象嵌魚子地五瓜に蔦紋・五瓜に平四つ目紋散、赤銅魚子地 銘 志立軒 嘉信
  • 目貫:秋草図、赤銅容彫、金色絵
  • 鐔:水車図、鉄地、丸形、鋤下地透、金露象嵌、無銘
  • 柄:白鮫着、紺色常組糸諸摘菱巻、頭角所
銀着一重はばき、白鞘入
古研ぎのため刀身には処々に挽跡・僅かな錆があります。時代の黒蝋鞘には処々当傷があります。
参考資料:松島政男・岡田一郎『阿波の刀匠』(株)出版、昭和四十七年一月十五日