H32528(S1523)

刀 銘 山城守藤原国次 附)黒蝋色千段刻塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期 (寛文頃/1661~)越前・武州
刃長 68.2cm 反り 1.2cm 元幅 31.1mm 先幅 20.6mm 元重 6.7mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色千段刻塗鞘打刀拵
保存刀装具鑑定書(鐔)



剣形:鎬造、庵棟。二寸(約6センチ)ほどの区送り磨上。元先の重ね厚く平肉豊かにつく。浅めの中間反りがついて中峰延びごころ。鎬筋高い重厚な造り込みで手持ちどっしりと重い。(刀身拡大写真
鍛肌:平地は板目肌よく詰んで小杢目交え、地沸厚くついて地景入る強靭な鍛肌に鎬地は柾目。
刃紋:表裏揃いごころの湾れに互の目と腰の括れた丁子を二つ・三つと連ねる。刃縁に小沸よくついて匂口締まり明るく冴え、処々飛び焼きがある。中頃には棟焼きがある。
帽子:横手で鎮まり直ぐに中丸となり、返り深く焼き下げて棟焼きとなる。
茎:二寸(約6センチ)ほどの区送り磨上げ、茎尻を僅かに摘まむ。目釘孔三個(第三目釘孔鉛埋)。生ぶの鑢は大筋違、区送り磨上げ部分には切鑢目がある。棟肉平でここには切鑢目がある。第一目釘孔を挟んで棟寄りには大振りかつ深い鏨運びで『山城守藤原国次』の長銘がある。

 『国次』初代は越前福井の産。初代康継を輩した越前下坂派の刀工で、大和大掾正則や兼法に学んだという。初代七郎兵衛・二代目甚助ともに『山城大掾』を受領し、二代甚助国次は菊紋を茎にきるという。
 表題の刀は三代『国次』の作刀。初代同様『山田七郎兵衛』を襲名して寛文元年に山城大掾を受領。のちに山城守に転じ江戸に移住し越前藩主松平家に仕え鍛刀したという。寛文二年~延宝二年にかけての年紀作があり、茎に菊紋を刻する作刀もある。
 この刀は磨上げながらも元身幅尚広く、平肉ついて手持ち重厚に豊満な中峰に結ぶ健全な体躯を保持している。板目鍛えの地鉄は地景が肌目に沿って織り込まれ肌起ち地沸で厚く覆われ煌めく強靭な鍛肌をしている。同工の作刀には山野家による裁断銘が茎に刻された作刀もあり業物として時代の好尚にのり重用された。茎に刻された奔放たる鏨運びの銘文は寛文十一年紀と類似しており、寛文後年頃の作刀と鑑せられる。

附) 黒蝋色千段刻塗鞘打刀拵 (打刀拵全身画像 / 刀装具各部画像
  • 縁頭:三河漫才図 四分一磨地 高彫 金銀素銅色絵 銘 政随
  • 目貫:蝦蟇蛇図 素銅地容彫 金色絵
  • 鐔:笹竹図 鉄地 木瓜形 毛彫 金平象嵌 鋤残土手耳 無銘 庄内 (保存刀装具
  • 柄:白鮫着 黒色細糸組上菱巻
赤銅地庄内はばき、白鞘入
参考資料:
藤代義雄『日本刀工辞典・新刀篇』藤代商店、昭和四十九年
『刀 銘 山城守藤原国次 寛文十一年弐月吉日作之 両車先大脇毛切落』
石井昌國・本間薫山『日本刀銘鑑』、雄山閣、昭和五十年