Tuba2790a

重輪円相図鐔

銘 於羽州山形 国友正命作

丸形、鉄鍛目地、鋤下彫、鋤残耳、両櫃孔赤銅埋
縦 83.5mm 横 83.3mm 重ね 4.6mm (切羽台) 4.6mm (耳)

特別保存刀装具鑑定書

 江州坂田郡国友村に鉄砲鍛冶が出自したのは天文十三年(1544)と云われている。日本人が鉄砲、火縄銃を手にするのは種子島にポルトガル人が流れついたのは天文十二年。故に翌年には日本で鉄砲の製作が始まったことになる。江戸時代になるとに国友は松平乗邑の転封にしたがって、亀山、淀、佐倉、山形、西尾へと移住していった。松平乗邑は延享三年(1746)に佐倉から羽州山形に封ぜられ、さらに明和元年(1764)に三州西尾に移封となる。

 『正命』通称、勘五右衛門は藩主の松平乗邑にしたがい二十石十人扶持の高禄で西尾に移った。山形時代の作鐔は鉄地丸形のもので、後年三州西尾時代になると作域をさらに広め、花椀形に砂張象嵌と称する流し込み象嵌のものや同象嵌手法の縁頭の制作がある。

 この鍔は同工の山形在住時、延享三年から宝暦末年(1746~63)の制作。大振りで重ねの厚い地鉄は緻密に鍛えられて古雅な錆味優れ美しい光彩を放つ。鋤残耳には鉄骨が表出した至高の鉄味。

 円相は欠けることのない無限を表したり、全てが始まりでもあり終わりでもあり、悟りや心理、宇宙全体などを表現しているといわれている。

 国友鍛冶は本職鉄砲師であり、鐔工として作域の広い作者である。明和八年三月十九日(1771)歿。


 以降『正幸』(安永~寛政頃)、『正重』(享和~文化頃)、『重貞』(天保頃)の各代は西尾に於いて松平家に仕えている。