京は皇都として政治、経済、文化の中心となり、皇室や公家を中枢とする優雅な風習が育まれた。武より文に重きを於いて実戦を二次的なものとした繊細優美な美術工芸作品が主流を占めた。
桃山時代、京都における金工界の伝統的な名家であった後藤家や梅忠家はしだいに衰退し、やがて新興の流派が主流となっていく。後藤の下職的な金工で後藤就乗の門人『山崎一賀』や『大月光興』らは後藤風の精巧な高彫色絵の手法で京都の金工の主流を占めるようになった。
この鐔は上質な赤銅地に変わり石目の手法を採って静寂な霞たつ空間を顕している。毛彫で雲文を据文象嵌で鳩丸紋を散らし、裏は陰陽松樹と流水・河骨を毛彫と据文象嵌・金色絵で配している。
後藤宗家の伝統的な作域を超越して斬新な趣向と彫法を採り入れ独自の作風を創始した江戸時代後期の作品