Tuba2800a

軍配散透図鐔

無銘 長州

丸形、鉄磨地、肉彫、地透、丸耳、両櫃孔

縦 80.0mm 横 80.2mm 重ね 4.4mm (切羽台) 4.0mm (耳)

保存刀装具鑑定書

 長州萩は毛利の城下町として栄え、江戸、水戸、会津と並んで多くの鐔工が活躍した。鉄地真丸形、肉彫透もしくは鋤出彫に両櫃孔の造り込みが特徴。画題は草花・山水の画題を好んで用いている。著名工に中井善助友恒、河台権之充友周、岡田宣政、八道市平友清などがいる。

 室町時代、中国地方に君臨した大友氏が京より正阿弥派の鐔工を招聘して製作にあたらせていることから、桃山時代以前の作風は『古萩鐔』と称して分類している。『古萩鐔』と鑑せられるものは古正阿弥風の薄手で大振り、肉彫地透のものである。河治派は萩でもっとも栄えた家系であり、時代の上がるものは京正阿弥より更に薄手である。後代になるにしたがい厚手深彫りとなるようである。

 薄造大振りで僅かに碁石形の造り込み。小京都萩の気風を表現したのであろう。卵形・瓢箪形・波形の軍配扇子が肉彫地透され、竹柄や房紐の毛彫や繋ぎは繊細で精巧優美である。江戸時代前期

 武将が戦の指揮に用いた軍配扇子は、本来は戦の際に方角を見極め軍を最適に配置し、指揮することを指していたが、相撲行司が力士の立合いや勝負の判定を指示するのに転用され、さらには苦難や人生の岐路において進むべき道へと導く役割としても重用されてきた。