Tuba2794a

板目模様図鐔

銘 於三州西尾 国友正重作

竪丸形、鉄鍛目地、角耳小肉、両櫃穴
縦 75.5mm 横 70.0mm 重ね 7.0mm (切羽台) 6.0mm (耳)

保存刀装具鑑定書

 江州坂田郡国友村に鉄砲鍛冶が出自したのは天文十三年(1544)と云われている。日本人が鉄砲、火縄銃を手にするのは種子島にポルトガル人が流れついた天文十二年。故に翌年には日本で鉄砲の製作が始まったことになる。織田信長は天正三年(1575)、長篠の戦いで大量の火縄銃を用いて強敵武田軍を破り勝利、天下統一の大きな一歩となった。
 江戸中期になると鉄砲の製作は減少し、松平乗邑に仕えた国友は松平氏の転封にしたがって、亀山、淀、佐倉、山形、西尾へと移動してゆく。
 西尾における国友鐔は『正命』(明和頃)、『正幸』(安永~寛政頃)、『正重』(享和~文化頃)、『重貞』(天保頃)の各代である。『正命』、『正幸』はおいては『さはり象嵌』と呼ばれる流し込み象嵌の技法がみられる。

 この板目文鍔は西尾国友三代 『正重』の作。角耳小肉で鉄骨が顕れて格段の味わいがある。鉄地鍛目が明瞭に、重ね厚く切羽台にかけて僅かに碁石形となる肉置きは力強い。江戸時代後期、享和~文化頃(1800~17)