G36980(S8917)

刀 銘 濃州住丹波兼延 刻同作 昭和四十六年五月吉辰

現代刀 (昭和四十六年/1971)岐阜県
刃長73.2cm 反り1.6cm 元幅33.4mm 先幅23.8mm 元厚7.8mm

岐阜県重要無形文化財保持者

剣形:鎬造り庵棟。身幅広く重ね厚く、平肉ついてやや深めのの反りがつく。元先の幅差が頃合いについて中峰延びごころ。(刀身拡大写真) 彫物:龍神への信仰に基づく宝珠を追って掴もうとする『珠追昇龍』を表に、宝珠を掴み地上に降りて来る『珠追降龍』を裏に肉彫りしている。 鍛肌:地鉄は小板目よく詰んで地沸微塵について地景はいる。 刃紋:元に直刃調で焼きだし、湾れに複式の大互の目を交え、互の目が二つ、三つ連なって箱刃状となる。刃縁の沸は締まりごころに刃中は匂い深く、互の目足が刃先に放射して此所に砂流しかかり明るく冴える。 帽子:横手下で互の目が鎮まり、直刃の焼刃広く僅かに掃きかけて中丸となり尋常に返る。 中心:茎生ぶ、目釘孔一個。茎尻は片山形に、鷹の羽の鑢。棟小肉ついて勝手下がりの鑢目がある。佩表には『濃州住丹羽兼延 刻同作』、裏には『昭和四十六年五月吉辰』の制作年紀がある。  丹羽脩司氏(刀匠銘:丹波脩司兼延)は明治三十六年(1903)四月五日生まれ。大正六年(1917)、弱冠十四歳で実父の丹羽兼松(兼信)に師事して鍛刀に精進し戦前、戦後に至るまで鍛刀一筋で生き抜いた。昭和四十二年(1967)六月十九日に作刀認可、岐阜県加茂郡富加町加冶田七六八に鞴を構え善定兼吉の伝法を伝えた。
 同工は昇竜・剣巻竜の彫刻を得意としその彫口は繊細を極めた。昭和四十六年(1971)熱田神宮の要請により宝物の脇差 銘(葵紋)奉納尾州熱田大明神 / 両御所様被召出於武州江戸御剣作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継(重要文化財)の写しを制作献納した。昭和四十八年(1973)11月8日『刀剣制作と刀匠彫』の伝統技術保持者として岐阜県重要無形文化財の指定を受けた。刀匠彫の伝統技術保持者は月山と脩司の二人だけという稀有な存在である。
 表題の刀は丹羽脩司氏六十八歳の円熟作。元身幅広く重ね厚く、やや深め反りが付いて中鋒に結ぶ優艶たる大坂新刀期の姿をしている。手持ち重厚に清涼な小板目鍛えの地鉄は鍛接部が微塵に詰んで鉄色冴え、地沸が微塵について地底に小板目状の地景が表出して地肌が潤う。匂口締まりごころの湾れに大互の目乱れの刃文は焼頭が二つ、三つと抑揚して連なり所々箱がかり、焼刃深い帽子はわずかな掃き掛けを伴って小丸に返るなどの焼刃は大坂新刀を念頭に於き優雅な濤瀾風大互の目の躍動は見応え十分。意匠濃厚な『珠追龍』の彫刻は一竿子忠綱に私淑した感がある。鱗の刻口は凛として切り立ち、天に舞いうねり躍動する龍は爪を大きく伸ばして煌めく宝珠を掴まんとする彫刻は刀剣を至高の芸術に昇華させて見る者を圧倒する。
 刀匠兼延が伝承した善定兼吉の伝法と刀匠彫の卓越した技術は、実子の丹羽清吾(兼信)氏(関伝日本刀鍛錬技術保存会の刀匠部会長)に受け継がれている。
銀無垢二重はばき、白鞘入り
参考文献:大野 正『現代刀工銘鑑』光芸出版、昭和四十六年