剣形:平造り、庵棟。身幅やや広め、やや厚めの重ねに寸が延び浅めの先反りがつく室町時代初期に流布した平造り寸延腰刀の典型的な体躯。 彫物:表の腰元には三鈷剣、裏には神仏の尊称『魔利支尊天』の彫物がある。(
刀身拡大写真) 鍛肌:杢目に板目交えてよく錬れ潤う。刃寄りには地斑調の乱れ映りがたつ。 刃紋:腰元は浅く湾れ腰の開いた小互の目やや逆がかり、尖り刃を交える。刃縁は小沸がよくつき匂口が明るい。 帽子:焼刃高く先僅かに尖り気味となり浅く返る。 中心:生ぶ茎。刃長に比してやや短めの茎には僅かに反りがある。鑢目勝手下がり、棟肉平でここにも勝手下がりの鑢目。先栗尻張る。目くぎ穴一個、指表中央には長銘『備州長船則光』、裏には『永享三年二月日』の制作年紀がある。
室町時代初期の長船の地には、それ前代の南北朝時代のような豪壮な作域とは大きく変貌して、優麗高雅な格調高い作風を示す刀工達があらわれた。
江戸時代前期に成立した『如手引抄にょてびきしょう』によると、長船鍛冶直系の『則光』(五郎左衛門尉)は初代『盛光』の子として知られ、『文明九年七十二歳』と添銘した作刀があることから応永十二年(1405)生まれであることが判る。応永備前鍛冶の終美を飾る二代『修理亮康光』とほぼ同年代であり、永享から文明頃(1429~80s)にかけて活躍した。『永享備前』と称される室町時代前期の正系長船鍛冶の優作鍛冶である。
同工『則光』は長船正系の伝統を保持した名工として高く評価されており、長禄三年紀の太刀(重要文化財)や寛正年紀の添銘のある作刀に名品が慧眼されることから、とりわけ『寛正則光』と称されて讃えられている。
永享三年紀(1431)のこの脇指は同工二十六歳の作刀。身幅やや広めに僅かに反りが付いており、前代南北朝期の脇指と比較するとさらに長寸となり室町時代初期に流布した姿である。地刃・姿ともに古調で、所謂先代盛光の『応永備前』の作域に近似し、鍛えは肌立ちごころとなり淡く乱れ映りがたち、刃文は腰の開いた小互の目を焼いている。三鈷剣と魔利支尊天の簡素ながらも穏健な彫物は武士の神仏への厚い信仰を明示して出来がよい。栗尻張った生ぶ茎の錆味優れ、入念に刻された長銘の鏨は明瞭で保存状態が優れている。
附)
豆鰄鮫二分刻研出鞘小さ刀拵(拵全体写真
佩表・
佩裏 /
刀装具拡大写真)
- 縁頭:千鳥図、鉄地、金銀象嵌、無銘
- 目貫:一引花籠図、赤銅魚子地、容彫、高彫色絵
- 鐔:二疋勝虫図、鉄地、金据文象嵌、無銘
- 小柄・笄 二所物:丸に中陰十の木紋、銀磨地、高彫、無銘
- 柄:黒漆鮫着、黒細糸諸捻菱巻
金着二重はばき、白鞘付属
参考文献 :
長船町『長船町史 刀剣図録篇』、大塚巧藝社、平成十年
藤代義雄『日本刀工辞典 古刀篇』、藤代松雄、昭和五十年