Tuba2767a

窓桐透図鐔 西垣

無銘 西垣

障泥形 鉄地 鎚目地 地透 毛彫 丸耳 片櫃孔

縦 70.9mm 横 68.7mm 重ね 4.7m(耳) 5.0mm(切羽台)

特別保存刀装具鑑定書

 西垣勘四郎は慶長十八年(1613)豊前中津で生まれた。平田彦三の門人となり寛永九年(1632)十二月、二十歳の時に細川忠興の転封に伴い肥後八代に来住して細川家に仕えた。細川忠興は千利休とも親交が深く、侘び寂びの世界を尊び華麗と濃厚さを忌避し、地味の中に垢抜けした深い味わいを探求する美学を金工達に求めた。
 大胆で武張った作域を特徴とする尾張系の林家や正阿弥系の平田家と比較すると、西垣派は幾分の優雅さを加え造形豊かな透かし鐔を得意とした。二代勘四郎は京に赴き後藤宗家七代顕乗に学び、五代と六代は江戸の熊谷義之に師事したという。西垣派の鐔は単なる丸形た竪丸形ではなく、布袋形や障泥風に僅かに歪んで変化を魅せる。
 本作は鍛肌強く鉄色黒々と光沢のある鉄味が魅力。厚手の切羽台から耳際にかけてわずかに薄手となる碁石状の造り込み。窓枠に見立てた外縁は下部両脇を広げた障泥形とし、左右には僅かに歪みをもたせている。切羽台の左右に掛かる桐表面を飾る繊細な毛彫りは活き活きとし、おおらかに流れる投桐の自由奔放な作風は動的な均整を魅せる。