H6248(S5014)

刀 無銘 下原康重 附)黒蝋色塗鞘波濤図打刀拵

古刀 室町時代末期(天正頃/1573~)武州

刃長75.5cm 反り2.2cm 元幅30.4mm 先幅22.2mm 元厚8.3mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘波濤図打刀拵

特別文化資料刀装具鑑定書



剣形:鎬造り、庵棟。二尺四寸九分と刃長延びて元に踏ん張りがあり、やや深めの反りがついて中峰延びる。元先の重ね厚く鎬筋高く、棟に向かい肉を削いで平肉豊かに付いた重厚な手持ち。(刀身拡大写真
彫物:表裏には樋先の下がった棒樋が茎に掻き流す。
鍛肌:板目肌処々流れ綾杉風に肌目たつ。地沸ついて板目状の太い地景が織りなす強靭な地鉄。
刃紋:互の目乱れ,処々尖り刃交え、刃縁厚く沸つき、互の目足刃先に放射して砂流し、金線かかる。
帽子:湾れて小乱れとなり中丸に返る。
茎:磨上げ無銘。目釘孔弐個。茎にも僅かに反りがある。鑢目は切、棟肉平でここには大筋違の鑢目がある。茎尻は切。

 武州下原鍛冶の宗家、『康重』は永禄六年生まれ、名を山本藤左衛門、万治元年九十五歳の長寿にて歿と伝えられる。相州小田原鍛冶の綱廣の門人山本但馬周重(ちかしげ)の弟。はじめ周重(ちかしげ)と銘し、のちに小田原城主、北条氏康より康の字を賜り『康重』と改銘した。武州多摩郡下恩方(しもおんがた)の下原の地に来住鍛刀した。彼等を庇護した領主は管領山内上杉家の武蔵守護代の大石氏、上杉家を破り関東を制圧した小田原北条家、さらには豊臣秀吉による小田原城陥落の後北条氏滅亡(天正18年)以降は徳川家から旧領を安堵され、幕府の御用鍛冶として幕末まで鍛刀が続けられた。同派からは照重、廣重、正重、宗國、安國、利長などの刀工が出自して最盛期には『下原十家』といわれるほど繁栄した。室町時代から江戸時代末まで続いた武蔵国唯一の刀工群である。
 安土桃山時代に隆盛した相州伝の豪壮な体躯は磨上げながらも二尺四寸九分と寸が延びて重ね厚く平肉がついた勇壮な姿。強靭な板目鍛の地鉄は渦巻き状となる綾杉状の地景を織りなしている。互の目乱れの刃縁には沸がよく絡んで、足が放射して金線、砂流しがかかるなど闊達な沸の働きがを観取できる。元先の重ね頗る厚く重厚な刃肉を保持しおり名だたる戦国大名に仕える尚武臣下の佩刀にふさわしい。戦国時代末期、同派の優れた美意識と技量をいまの世に伝えている。
保存状態の優れた江戸時代後期製作の打刀拵が附帯している。
附)黒呂色塗鞘波濤図打刀拵(拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:波濤図、赤銅地、鋤下彫、銘 高瀬 栄随 (花押)
  • 目貫:藻貝図、赤銅容彫、金色絵
  • 鐔:波濤図、鉄地撫角形、金布目象嵌、無銘
  • 柄:白鮫着古代紫色常組糸諸撮菱巻
金着二重はばき、白鞘入り
参考文献 :
本間薫山、石井昌國 『日本刀銘鑑』 雄山閣、昭和五十年
後藤安孝 『武州下原刀図譜』