F28304(S2855)

刀 銘 近江守高木住助直 附)黒変石目塗蜀江錦文鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(延宝八年頃/1680~)摂津
刃長71.4cm 反り1.5cm 元幅31.5mm 先幅21.6mm 元厚7.5mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒変石目塗蜀江錦文鞘打刀拵

特別保存刀装具鑑定書

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵棟。反りやや深くついて中峰延びごころ。身幅広く重ね厚くつき、鎬筋高めに平肉豊かにどっしりとした体躯は手持ち重厚に高位の均衡が採れている。(刀身拡大写真
鍛肌:杢を交えた小板目肌は微塵によく詰んで澄み、平地全面は地沸を厚く敷いて潤い、、地底に沈んだ精緻な肌目は地景となって沸々と鮮明に浮かぶ。
刃紋:浅く湾れを伴う中直刃は処々二重刃・ほつれる刃を交えて上半に小互の目を配し、小沸微塵に且つ深々として殊の外匂口明るく清涼感に溢れる。刃中の沸匂の広がりも深く明るく冴えて砂流し穏やかな金線掛かる。刀身中頃より下方には処々棟焼きがある。
帽子:焼刃高く僅かに湾れてほつれ、端正な中丸に返りやや深く留る。
中心:茎生ぶ、茎孔壱個、大筋違に『香包鑢』の鑢目。棟肉豊かについて此所にも大筋違の鑢目がある。入山形の茎尻。佩表鎬地よりにやや大振りの太鏨で『近江守高木住助直』の自身銘がある。(注1)

 『近江守高木住助直』は通称を孫太夫、寛永十六年(1639)に近江国高木(現、滋賀県野洲市高木)に生まれた。初代そぼろ助廣に師事し、二歳年上の二代甚之丞助廣とともに助廣工房の一員として業をなし、師の晩年期にはその代作に任じたという。
 寛文三年(1663)に初代助廣が歿すると、助直は二代助廣の妹婿となり、江州高木と大坂間を往来する生活をおくり二代助廣の工房を支え、寛文九年頃に『近江大掾』を任官してすぐに『近江守』に転じた。
 はじめ『近江国住助直』と銘を切り、任官後は『近江大掾藤原助直』、『近江守藤原助直』さらに延宝頃は『近江守高木住助直』と銘を刻した。天和二年三月四日(1682)八月年紀からは『津田近江守助直』と全ての作刀に『津田』姓を冠して津田一門の頭領となり大坂に定住した。確認出来る年紀作から作刀期間を鑑みると、助直三十歳の寛文八年(1668)から五十五歳の元禄六年(1693)の二十五年間におよんでいる。
 この刀は延宝八年頃、助直四十二歳頃の壮年期の作。寛文・延宝年間は近江の高木と大坂の双方で鍛刀しており、『近江国住』或は『近江国高木住』と刻したものは生国の近江にて鍛刀したもので、この刀のように『高木住』を添える作刀や天和二年・三年紀のみに慧眼する『江州高木』の添銘は生国を顕すものと考えられている。(注2)
 同工の茎仕立ては師の助廣と同様に平肉がつかず、鑢目の仕立ては『香包鑢』と称する独特の化粧鑢が施されているのが特徴で、香入れを包む袱紗の複雑な合わせ模様を意匠に取り入れている。
 本作品は大坂新刀最盛期の時流に乗り、身幅広く重ね重厚に鎬筋高く平肉豊かについて反り深く中峰延びた所謂、延宝~元禄期の姿をしている。同工円熟期の端正な直刃湾れは助廣の寛文七~九年頃の直刃に似て沸・匂口深く、沸匂が美しく絡んで金筋・砂流しを交えるなど同工の高い技量が遺憾なく発揮された優品で、湾れ刃の作品中の精華と称すべき出来映えである。 またこの頃の作刀は相州伝の、とりわけ郷義弘あたりに念頭においた作域をみせて、この作刀のように更によく沸づき、金筋・砂流し殊のほかよく掛かるものがある。

飫肥伊東家伝(注4)黒変石目塗蜀江錦文鞘打刀拵が附帯している(特別保存刀装具
(打刀拵全体写真・ / 刀装具各部写真
  • 総金具(縁頭、鯉口、栗形、鐺):総金具揃庵木瓜紋散図、赤銅地、金色絵、無銘
  • 目貫:猛虎図、赤銅容彫、金色絵
  • 鐔:雷文散図、朧銀磨地、両櫃孔、無銘
  • 鞘:黒石目地塗、蜀江文散
  • 柄:白鮫着滅古代紫色糸諸撮巻
金着はばき、白鞘付属『本阿弥日洲氏鞘書(昭和五十八年)』

(注1)助直の銘字の鏨運びは大きく変遷しており、生涯に亘り表裏共に自身銘とおもわれている。天和二年三月四日(1682)に義兄の二代甚之丞助廣が鬼籍に入ると、『直』の『目』の最終三画を『〒』のように鏨の運びを変えている。助廣の場合は寛文七年八月以降は裏年紀の草書体の切付は表裏で鏨の太さも違うことから銘切師の切付によるものと考えられている。
(注2)延宝七年紀の脇指『近江守高木住助住』の佩裏には『延宝七歳二月日 於摂津作之』の切付があり、出生地および作刀地を明示した好例である。
(注3)延宝頃の助廣銘には助直の代作がかなりあるのではないかと推量されよう。
(注4)飫肥は宮崎県日南市中心地区の一つで外様伊東氏五万一千石の城下町。小藩でありながらも戦国時代から江戸時代にかけて、新刀最上作の堀川国広、井上国貞、井上真改の名工達を輩出し、天正遣欧少年使節団の一員伊東マンショ(祐益)は日向国都於郡(今の宮崎県西都市)で生まれた。
参考文献:
山田浅右衛門『古今鍛冶備考』
数田政治、森口隆辻『助廣大鑑』光村推古書院、昭和五十五年
佐藤寒山『刀剣美術第五十五号』日本美術刀剣保存協会、昭和三十四年