K534(S2854)

刀 銘 九州肥後同田貫又八 附)潤塗鞘薩摩拵

桃山時代(天正頃/1588~) 肥後
刃長 69.4cm 反り 1.5cm 元幅 33.4mm 先幅 27.7mm 元重 8.6mm

保存刀剣鑑定書

附)潤塗鞘薩摩拵

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵棟、元先の幅差開かずに大峰のびる。反り浅くつき身幅広く元先の重ねは頗る厚い。豪壮鋭利の誉れ高き同田貫の作刀中でも殊の外身幅広く重ねの厚い剛刀である。(刀身拡大写真彫物:三鈷剣に梵字、裏の腰元には二筋樋の彫物がある。
地鉄:総体に白け立ち、板目に杢目交え流れて肌たち地沸ついて地景はいる。
刃文:沈みごころの刃文は湾れ基調に小互の目・小丁字・小尖り刃など多様な刃が交じり、処々飛び焼き交えて同派の作域よりも変化のある様相に野趣が感じられる。
帽子:強く乱れ込んで火炎に掃きかける。
茎:生ぶ。鑢目は浅い勝手下がり、棟肉平で大筋違の鑢目。目釘孔一個。佩表の鎬地には大振りで豪快な鏨運びの長銘『九州肥後同田貫又八』がある。

 同田貫は肥後国「熊本」の産(注)、古刀末期に菊池よりの玉名へと移住した菊池延寿鍛冶の後裔である。天正十六年(1588)、加藤清正が肥後に入国して北半を領するとともに延寿鍛冶の後裔を召抱え、熊本城の御城備刀を作らせた。これらが肥後同田貫鍛冶一門であり、「折れず曲がらず同田貫」と歌われ、猛勇な清正公の気風を反映して無骨で野趣溢れ、物切れ優秀な実用的価値の高い刀を鍛刀して乱世戦国の世に全盛期を迎えた。
 代表工には「清国」・「正国」両兄弟や「兵部」・「右衛門」・「又八」等がおり、長銘物の刀や薙刀・槍は献上刀か高位の武将の注文打のため入念作が見受けられ「九州肥後同田貫上野介」、「九州肥後同田貫兵部」、「九州肥後同田貫又八」などの銘を入れたものがある。同派は加藤清正に随って、朝鮮の役に参画して彼の地でも鍛刀している。
 熊本城備刀や槍・薙刀には無銘が多く、脇差には唯番号だけを入れることに定まっていた。これらの事由から美術的に優れたものや在銘品は限られ、打ち卸しの完存状態は稀である。文禄・慶長の『朝鮮の役』やその後の『関ヶ原の合戦』、『大阪夏・冬の陣』での野戦・実用武器として消耗が激しいものが大半で現存の優品は少ない。同田貫一門は加藤家が改易となり、細川忠利の入国後は衰亡してその鍛刀技術も一時失われてしまっている。
 この刀は元先の重ね頗る厚く大峰に結び、鎬高く平肉豊かに頑健な姿態を保持して同田貫の特徴が顕著。三鈷剣に梵字・二筋腰樋の彫物は戦国乱世の勇猛武士が仏神を尊崇し、明日をも知れぬ我が身の命運を祈念したもので威厳と風格は観る者を圧倒する。同派作刀中でも完存の優品で出色の出来映えである。

附)潤塗鞘薩摩打刀拵拵全体写真刀装具各部写真
  • 縁頭:波文千鳥図、山銅地、鋤彫、無銘
  • 目貫:笹露猪図、赤銅地、容彫、金色絵
  • 鐔:茗荷中紋散図、変わり拳形、鉄地、焼手腐らし、丸耳、無銘、後代法安 (保存刀装具)
  • 柄:白鮫着紺色常組糸諸撮菱巻
時代山銅地一重はばき(打刻跡あり)、白鞘付属
注)肥後国熊本は中世より踏鞴製鉄の地として栄え、鎌倉時代末期には蒙古襲来に備えて山城より来派の鍛冶『来国村』を招聘して鍛刀をさせていたという。国村は『延寿太郎』と称したことから延寿派の始祖として名高い。同国は南朝の忠臣である豪族・菊池氏の本拠地として栄えたが南朝の衰退とともに延寿鍛冶は四散して野鍛冶となっていた。