H37561(S2467)

太刀 銘 家助 附)黒蝋色塗鞘打刀拵

古刀 室町時代初期 (応永頃/1394~27) 備前
刃長 70.2cm 反り 2.5cm 元幅 28.0mm 先幅 18.2mm 元重 7.5mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘打刀拵

 

剣形:鎬造り、庵棟。二寸ほどの磨り上げ。重ねが厚く身幅広く踏ん張りがあり、腰反りが深くつき元先の幅差頃合いに中峰にむすぶ太刀姿。上方物打ちの棟には武勲の戦痕跡がある。(刀身拡大写真
彫物:表裏には樋先の上がった丸留めの棒樋がある。
鍛肌:板目肌よく詰んで杢交じえ、総体に肌たち直ぐ映りがたつ。
刃文:沸づいた浅い湾れに腰開きの小互の目・小丁子・尖り刃や飛び焼き等を交えて賑やか。刃中匂い深く砂流し頻りとかかり刃縁が明るく冴える。
帽子:高い焼刃は乱れ込んで掃きかけ中丸。
茎:二寸程の磨上げ。茎にもやや深めの反りがつく。目釘孔二個。鑢目勝手下がり、茎尻切り。太刀銘で第二目釘孔上方の鎬地に小振りの二字銘『家助』がある。

 初代の家助は畠田守家の子で文永頃(1264~74)の刀工と伝える。慧眼するもっとも古い年紀は応永三年(1396)で、応永を遡るものは未見である。応永頃(1394~23)の家助を事実上の祖として以降は文明(1469~86)頃の四代まで続いている。
 通常『応永備前』と呼称される長船鍛冶の代表工には盛光・康光・師光らがおり、ほかに祐光・則光、経家・家助らの一派が長船の地で活躍した。同時代になると佩刀方法の変遷により太刀と打刀が同居するようになり、颯爽たる太刀姿は徐々に廃れて片手打ちの打刀へと移行するようになった。
 『応永備前』の板目鍛肌は総体によく詰み、稀に乱れ映りがたつものがみられるものの、直ぐ映りを呈するのもが多くなる。刃文はのたれに小互の目・丁子・尖り刃などを交えて揃いごころのものが多く、家助には沸づきの強い作例がみられる。
 この太刀は堂々たる鎌倉時代の太刀姿を念頭に復古的な体躯をしており、二寸(6.0cm)ほど区を送り磨上げながらも二尺三寸二分の定寸法を保持して腰反り深く姿が良い。板目の鍛えが清涼でやや肌立ちごころとなり地には直ぐ映りがたつ。互の目に丁子を交えた乱れ刃が華やかで颯爽たる太刀姿を有する同作中の白眉である。

附)黒蝋色塗鞘打刀拵(拵全体写真刀装具拡大写真
  • 縁頭:一引玉龍図、赤銅魚子地、高彫、銘 薮 常之(花押)
  • 鐔:四方扇子透図、鉄地、金象眼、無銘、京正阿弥
  • 目貫:三双貝図、赤銅容彫、金色絵
  • 柄:白鮫着、紺色常組糸諸撮巻
金着二重はばき、白鞘付属
参照資料:長船町、『長船町史・刀剣篇図録』長船町史編纂委員会、平成十年