O117703(S2853)

刀 銘 和州手掻住包國於駿府造之

新刀 江戸時代初期(慶長十五年頃・1610~)大和
刃長69.6cm 反り1.5cm 元幅30.6mm 先幅21.3mm 元重7.2mm

特別保存刀剣鑑定書

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵高く、棟の卸しが急。元幅広く重ね厚く、鎬筋が高く平肉のついた重厚な体躯にやや浅めの反りがついて中峰に結ぶ所謂、慶長新刀姿をしている。(刀身全体写真
鍛肌:地鉄は小板目がよく詰んで総体柾がかり、地錵が厚くついて煌き、青黒く沈んだ地景が躍動する。
刃文:浅くのたれた広直刃に複式の小互の目を交えて小足が頻りとはいり、刃縁には小沸が厚く積もって、ほつれる刃や二重刃がある。刃中は匂い深く充満して澄みわたり地刃ともに強く頗る明るく冴える。
帽子:表裏とも直ぐに焼き詰めごころとなる。
茎:一寸五分ほどの区送り、茎尻を僅かに摘まむ。大きな目釘孔二個。茎にも反りがあり刃側中頃より卸して茎尻が絞り込まれて切の茎尻に結ぶ。大筋違の鑢目、茎棟に小肉がついてここには勝手下がりの鑢目がある。佩表棟寄りに大振りの長銘『和州手掻住包國於駿府造之』がある。

 『和州手掻住包國』は南紀重國の兄と伝えられ名を『文殊九郎三郎』と云う(注)。包國、重國の両兄弟は慶長十五年頃、徳川家康の召命により初代康継とともに駿府静岡で鍛刀したという。
 包國・重國両工は『駿河文殊』と称され、大和手掻派の伝法を受け継ぐ慶長新刀の筆頭鍛冶として名高い。その作刀は長寸で重ね厚く堂々たるものですが現存する多くは長寸のためこの刀のように区送りされるか、大擦り上げ無銘となっている。
 この刀は弐尺四寸五分ほどの長寸であったものを後代に区送りが施され、現状の定寸法、弐尺参寸に仕立てたものである。凛として高い鎬筋や庵の棟が高く卸しが急な体躯には浅い湾れをまじえた中直刃を焼いて小沸が厚くつき、刃縁にはほつれる刃や二重刃がかかり、処々互の目を交える。上部物打ちの沸はより厚くついて、匂いさらに深くとりわけ明るく煌めいて帽子が焼詰ごころとなる作域は大和伝の特徴が顕著で古作手掻を彷彿させる。小板目がよく詰んだ柾目基調の精良な地鉄をした体躯はは健全さを相以て手持ちはずしりと重い。
 大御所家康公の厚い寵愛を受けた手掻派優作鍛冶包國の現存稀な在銘優品である。
金着せはばき、白鞘入
注)日本刀工辞典によると『包國は生国大和手掻、南紀重國の父とも同人とも云う、併し重國同人説が有力である』と述べている。また『古今鍛冶備考』には『本国大和手掻包永の末、文殊九郎三郎包國と号す。駿府府中へ来り後和歌山へ転生して重國と改』とある。これは両者の作風銘振りが近似していることから包國と重國は同人説を唱えたのであろう。古来『和州手掻住包國』を以て、重國同人とし、紀州和歌山に移住後に重國と改銘したとされてきた。
参考文献:
古今鍛冶備考 雄山閣 昭和50年 伝柘植平助 著 ; 山田浅右衛門 編著 ; 福永酔剣 解説
本間順治、佐藤貫一、『日本刀大鑑 新刀篇一』 大塚工藝社 昭和四十一年
本間薫山『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年