M37503(T3191)

短刀 銘 兼法作 附)黒蝋色塗鞘短刀拵

古刀 安土桃山時代(天正頃/1573~91)美濃
刃長 27.0cm 反り 0.1cm 元幅 24.9mm 元厚 5.4mm

保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘短刀拵

剣形:平造り、庵棟。刃長・身幅ともに頃合に僅かに先反りがつく。表裏には茎に掻流しの棒樋の彫物がある。(刀身全体写真
鍛肌:やや肌たちごころの板目肌鍛えの地鉄はとりわけ刃寄りに流れる肌合いを交える。平地には地斑調の地錵がつき白けごころの映りがたつ。
刃文:湾れに腰括れの丁子刃、複式互の目、尖り刃を交えて表裏の刃は揃いごころ。処々に飛び焼きかかり、刃縁は厚く錵づいて乱れの谷にが錵が厚く積もり、ここに金線はいり砂流し頻りとかかりる。総体に広狭変化を交えて焼刃広く、賑々しく地刃ともに明るく冴える。
帽子:表裏とも焼刃高く湾れて地蔵風に小丸となりやや深く返る。
中心:生ぶ茎。茎尻は浅い栗尻、鷹の羽の鑢目。目釘孔弐個。指表の棟寄りには大振り、太鏨で独特の字体『兼法作』の三字銘がある。

 兼法の出自については赤坂千手院系の奈良派とされ、現存するものでは明応八年紀(1500)の太刀があり事実上の初代とされる。年紀作資料の不足により定かではないが、その銘振りより室町時代末期までの約百年間に五人程の『兼法』を名乗る刀工がいる。
 天文頃の兼法は、宇留間(現在の各務ヶ原市鵜沼)に住したのち越前国一乗谷に移住し『越前一乗住兼法作 天文十年八月日』の作品を遺している。また同じく遠州浜松に移住したものは『遠州住兼法』などと刻した作刀がある。天正頃になると信州伊奈へと出向するものや駿府に移住した『兼法』がある。
 なかでも駿府に移住した『兼法』は家康の信頼厚く、鍛冶頭に任命されたので、一時駿府で鍛刀していた『越前康継』、『南紀重国』や『繁慶』も同工『兼法』の配下にあったものとおもわれる。
 現存する『兼法』の作刀の多くが天文~天正頃(1532~91)にかけてのもので、表裏揃った互の目に箱刃を焼き、帽子は乱れ込んで地蔵風となるものがある。 鑢目については、本造りの刀や脇差は鷹の羽で平造りの短刀は檜垣鑢。
 天正頃の『兼法』は、本作のように太鏨・大振りで『兼』の字の鏨運に特徴的な刻銘を明示するものがある。『兼法』の系譜は江戸時代にになると神戸(現、安八郡神戸町神戸)に鞴を構えて『濃州神戸住兼法』と鏨を刻して寛永頃までつづいた。
 この短刀は打刀の添指として常用されたのであろう。腰の箱刃が表裏揃いごころのなる美濃伝の特徴を有しながらも、物打から切先にかけてはより強く錵づいて湯走り・跳び焼きを呈する。この作風は当時の為政者や勇猛果敢な武将達の婆娑羅の機運と嗜好にもっとも合致しており、美濃相州伝上位作の直江志津あたりの作域を念頭に於いたものである。古研ぎのため、物打から上部にはごく僅かな欠けがあり平地には轢跡があるものの、鑑賞上まだ充分であり次回の研ぎの折に拭い去ることができる。

附)黒蝋色塗鞘短刀拵拵全体写真刀装具各部写真
  • 縁頭:龍・仙人図、赤銅魚子時、高彫金銀色絵、無銘
  • 小柄:波龍図、鉄地鋤彫 金象眼、無銘
  • 鐺:桜花図、鉄地、金布目象嵌
  • 鐔:変形、鉄地、槌目地、月に梅図、無銘
銅渡金はばき、白鞘入
参考文献:
得能一男『美濃刀大鑑』大塚巧藝社、昭和五十年
鈴木卓夫 杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』里文出版 平成十八年
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 平成二十年
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年