G41578(S1896)

刀 北越蒲生住薄田鉄水子国秀 天保六年八月日

新々刀 江戸時代後期(天保六年・1835) 越後
刃長 73.2cm 反り 1.8cm 元幅 33.5mm 元重 7.4mm

保存刀剣鑑定書
正真鑑定書

剣形:平造り、庵棟、二尺四寸一分と寸が延び、重ね厚くついて身幅広く、元先の幅差が然程つかずふくら豊かにつく。元先の幅広くやや深い腰反りに中間反りがついて刃側が張る勇壮な姿をしている。(刀身全体写真
鍛肌:板目に杢目交え、刃寄り・棟寄り流れて総体柾かかる。
刃文:湾れに小互の目乱れ。刃縁に小沸ついて互の目足よく入り、金線砂流し頻りとかかり、刃中盛んに働く。
中心:生ぶ茎。目釘穴一個。刃上がりの栗尻張る。鑢目は勝手下がり、棟肉平でここには大筋違の鑢目がある。鑢目明瞭、佩表の棟寄り上方には『北越蒲生住薄田鉄水子国秀』の長銘。佩裏の棟寄り目釘孔下方には『天保六年八月日』の製作年紀がある。
帽子:乱れ込んで掃きかけ深く返る。

 『日本刀銘鑑』によると、越後の『国秀』は初代『長秀』の嫡子で寄居の産、姓を薄田という。天保年間に蒲生(現在の新潟県十日市市)に鞴を構えた。三代は初代『長秀』を襲名し、元治・慶応年間の作例がある。
 上古代の直刀の剣形のひとつである鎬筋のない平造りの体躯は、鎬筋が刃側ごく近くに寄った切刃造りへと変化し、さらには峰両刃造りへと変容した。やがて平安時代中期になると複雑な曲線美を有する彎刀へと変化する。鎌倉・室町時代になると鎬のない平造りの剣形は短刀小脇指に多く看られ、本作のような長寸平造り大刀の作例は稀有である。
 表題の平造大刀は天保六年の作。特別な需により精鍛されたであろう。身幅広く重ね厚く、腰反り高くついた迫力ある姿に青黒く沈んだ鋼から躍動する太い地景が湧く力強い地鉄は野趣に満ちている。小沸厚く絡んだ刃境には地景に呼応する金線・砂流しが頻りと掛かり、無数に足が入り、帽子は激しく掃きかけて火炎風となり長めに返る。茎に太鏨で力強く刻された銘字は鏨枕が立ち同工の自負の念が滲んでいる。
銀無垢一重はばき、白鞘入
参考文献
本間薫山・石井昌國 『日本刀銘鑑』 雄山閣 昭和五十年