T272500(T3718)

短刀 銘 伊勢大掾兼重作 加賀國金澤住人藤原兼豊(花押) 附)黒石目地塗鞘合口拵

新々刀 江戸時代末期(安政六年~文久二年/1859~62) 加賀
刃長 28.5cm 反り 0.2cm 元幅 28.0mm 重ね 5.6mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒石目地塗鞘合口拵

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:平造り、庵棟。寸のびて身幅広く重ねが厚い。僅かに反りが付きふくら張る新々刀期の造り込み。刃区は凛として深く遺された健やかな体躯をしている(刀身拡大写真
鍛肌:よく詰んだ板目肌の強靭な地鉄は細やかな地沸で覆われて冴えている。
刃文:浅い湾れで焼きだし、抑揚溢れる焼刃は大互の目に小互の目を連ねて箱刃をかたちどり丁子を交えて、表裏揃いごころ。帽子の焼刃深く棟焼きに繋がり棟区まで焼き下げる。やわらかな小沸出来の焼刃は匂口が締まって明るく冴え、春霞の如く匂が充満する刃中には腰元太い沸筋かかり、互の目足が柔らかく放射して煙込んでいる。
帽子:焼刃の高い焼刃はふくらに沿って湾れて小乱れ・二重刃を伴って先小丸となり、返り深く棟焼きに繋がり棟区まで深く焼き下げる。
茎:生ぶ、目釘孔壱個。剣形の茎尻。勝手下がりの鑢目。佩表の上方棟寄りには、端整な鏨運びで『伊勢大掾兼重作』。裏には『加賀国金澤住人藤原兼豊(花押)』の兄弟合作銘がある。

 加賀の『兼重』本名木下甚之丞は清次郎清光と共に新々刀期の先駆者として高名な刀工である。『兼重』は文化十二年(1815)、八代兼久・木下甚太郎の長兄として生まれた。兼久門下で業を修めて兼重を襲名。同工三十歳のとき、『加陽金城住藤原兼重 弘化二年八月吉日作之』(1845)の年紀作にはじまり、後年の安政六年(1859)伊勢大掾の官位を受領しての作品『加州住伊勢大掾藤原兼重 万延元年八月吉日鍛之 行年四十五歳』(1860)の脇指がある。同工は美濃関『兼元』の末葉ある『兼久』が江戸時代初期に加賀国に移住して木下家の祖となったという。刃文は当国の先輩兼若を模した大互の目・箱乱れや兼元風の三本杉を得意をしている。文久二年(1862)歿、享年四十七の早世であった。
 弟の『兼豊』は天保二年三月十五日(1831)生まれ、慶應二年三月十五日(1866)に伊勢大掾を受領したものの、まもなく明治維新をむかえ加賀新刀有終の美を飾った。明治四十年七月十日(1907)歿、享年七十七。

 本作は安政六年(1859)頃の伊勢大掾任官後、次弟『兼豊』との兄弟合作刀である。寸伸びて身幅広く重ね厚く深く遺された刃区は健やかな体躯を温存している。小板目鍛えの地鉄はよく詰んで細かな地沸で覆われて明るく冴え爽やかな鉄肌。抑揚のある大互の目の刃文は小丁子と小互の目を交え、焼頭が角状に突出する刃、互の目が連なって角張る刃、湾れ刃を伴い、帽子は先端が小模様に乱れて返り、棟区まで明瞭な棟焼を施している。小沸明るい焼刃は匂口が締まって冴え冴えとし、匂が濃密に漂う刃中には互の目に伴う匂の足が長く淡く広がって刃先辺りまで煙り溶け込む。

附)黒石目地塗鞘合口拵(拵全体写真各部拡大写真
  • 縁頭、鯉口・栗形・裏瓦・返角・角口製(柄頭には『奇正』(注)の二字が金粉蒔絵されている)
  • 柄:星鮫研出鋲打留着
  • 目貫:藻貝図、赤銅容彫、金色絵
  • 小柄:もみじ図、鉄地、素銅象嵌、無銘
金着一重はばき、白鞘付属
参考文献:(財)日本美術刀剣保存協会『加州新刀大鑑』昭和四十八年、本間薫山、石井昌國『日本刀銘鑑』昭和五十年、雄山閣
(注)『奇正』とは兵法で奇襲と正面攻撃を意味する