S16410(S2848)

刀 銘 駿河守藤原盛道 附)黒蝋色塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(寛文頃/1661~) 尾張
刃長 71.2cm 反り 1.4cm 元幅 31.0mm 先幅 20.9mm 元厚 7.0mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘打刀拵

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、重ね厚く鎬筋が高い。頃合いの反りが付いて中峰延びる均整のとれた体躯。強靭な肉置きで平肉つき、どっしりとした重量がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌ゆったりと錬れ杢を交え、鉄色やや黒づんで肌立ちごころに地錵がついて地景が湧き出す頗る強い肌合いを呈している。
刃紋:区上で直ぐ調子に短く焼きだして、小錵出来の互の目乱れ、腰の括れた丁子刃や箱がかった刃を交えて処々に菊花をかたちどり、一分は跳び焼きかかり鎬筋にとどかんばかりに焼刃高く華やか。刃縁の小沸は匂口がややしまりごころに締まり、互の目の谷にはやや粗めの沸がこごり、太い沸足が刃先に放射して明るく冴える。
帽子:横手で互の目を焼いてのたれ、直調となり、表は中丸。裏は小丸になり「返り深く棟に焼き下げる。
中心:生ぶ。刃長に比してやや短めに刃側を削いだ独特の形状で刃上り栗尻張る。。刃区深く大筋違の鑢目、目釘孔壱個。佩表の鎬筋上にやや小振りで太鏨の長銘『駿河守藤原盛道』がある。

 新刀初代、駿河守盛道は永禄年間のはじめ(1558)頃、岐阜『盛道』の子として生まれた。関七流の『室屋長衛門五道兼道』の末葉で本国美濃関から岐阜に転住し、山城での作刀もある。慶長十五年(1610)の名古屋城築城後に家康九男・徳川義直が城主になると名古屋城下に鞴を構えて尾張藩の抱え工として活躍した。 三品派の始祖で、伊賀守金道・来金道・丹波守吉道・越中守正俊の父として高名な『陸奥守大道(大兼道)』の有縁とおもわれ、岐阜・尾張鍛冶の代表刀工である。政治・経済・文化・思想と広範囲に及ぶ社会環境の変革による中世から近世への一大転換期に美濃伝に豪華絢爛な作風を採り入れて個性豊かな遺作を残して名高い。
 表題作刀は寛文年間、二代の駿河守盛道の作刀。武勇の誉れ高い尾張藩士の需であろう。二尺三寸五分の体躯は凛として鎬高く、平肉がついてどっしりと重量がある。初代に比して太鏨で小振りの銘で『駿河守藤原盛道』と鏨を運ぶ典型的な銘ぶりが好ましい。
 剣形は同時代に流布した頃合の中間反りがついて中峰に結ぶ所謂『寛文新刀姿』を呈している。刃長に比してやや短めに茎尻を絞り込んだ『たなご腹』風の茎形状は初代同様で、伊勢千子、駿河島田、相州綱広、武州下原一門いづれにも共通する特徴でもあり技術交流が伺えよう。
 尾張刀工は徳川御三家の筆頭で中京と呼称された至高の立地条件で名刀を制作しながら、その多くはて他藩への売品としてではなく、尾張藩の抱え工として活躍したために絶対的制作数は少ない。本作は尾張上級藩士の打刀として伝承された頗る健全な体躯をしている。
 今回の出陳にあたり刀身は研磨を施し白鞘を新調。往時をしのぶ時代打刀拵は、柄下地制作および白鮫着せをおこない、柄糸を新調した生ぶ出しの優品である。

附)時代黒蝋色塗鞘打刀拵拵全体写真各部拡大写真
  • 縁頭:獅子図、赤銅魚子地、高彫、色絵、無銘
  • 目貫:三双輪宝図、赤銅、容彫、金色絵
  • 鐔:笹露図、鉄地、竪丸形、地透、肉彫、金布目象嵌、無銘
  • 柄: 白鮫着、黒色常組糸摘摘菱巻
銀着二重はばき、白鞘付属

参考文献:岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年