T275603(W2889)

脇指 無銘 藤原高田

新刀 江戸時代初期 (寛永~正保頃/1624~47) 豊後
刃長 54.7cm 反り 1.1cm 元幅 29.2mm 先幅 20.7mm 元重 6.4mm

保存刀剣鑑定書

10回まで無金利分割払い(60回まで)

剣形:鎬造り、庵棟。身幅広く、元重ね厚くやや浅めの反りがつき中峰延びる。鎬高く棟に向かって肉削ぎ落とす強靭な造り込みをしている。(刀身拡大写真
鍛肌:大板目肌は地沸がよくついて地景はいる強靭な地鉄。鎬地は柾目肌顕著。
刃紋:沸出来の湾れを基調とし、互の目・蟹の爪の焼刃を交え、刃縁にはやや粗めの沸が厚くついて地には湯走りがかかる。刃中は互の目の沸足が刃先に容赦して金筋・砂流しが頻りとかかり明るく冴える。
帽子:乱れこんで掃きかけて大丸となり返りは深く留まる。
茎:生ぶ茎、無銘。目釘孔三個。刃側を絞り込んだ舟底風の茎にはごく浅い勝手下がりの鑢目がある。茎尻は刃上がり栗形。

 豊後国には鎌倉時代初期に定秀・行平の名工が興き、南北朝時代には同国高田の地に友行が出現して豊後国『古高田』の始祖として名高い。文明二年(1470)に大山祇神社に奉納された国宝の大太刀 無銘 伝豊後友行 附)野太刀拵をはじめ重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品がある。
 友行の門人である重行の子、長盛の代より藤原姓を改め、平姓を名乗ったことから室町時代の作品は『平高田』もしくは『末高田』と呼称している。戦国時代末期になると高田の地は大友氏の庇護を受けて備前、美濃と比肩する最盛期を迎えて利刀を鍛えた。
 安土桃山期になると大友氏の失脚に伴い一時衰退したものの海運の利に恵まれて再復興し『統行』以降に藤原姓を復活させたことより『藤原高田』または『新刀高田』と呼ばれている。
 高田鍛冶は古刀期より盛んに他伝を採り入れたために作域が広く、斬れ味に優れたことから中級武士の好尚に乗じて大いに繁盛し、統行、重行、行長らが良業物位列に叙され称賛されている。

 この脇指は鎬筋の高い強靭な造り込みをして棟肉を削ぎ落とすことにより、刃の抜けを良くすべく実利に念頭を於いた添指しであろう。板目の地鉄には地沸がついて太い地景を伴う強靱な地鉄をして斬れ味のよさを明示し尚武の気風を尊んだ強靭な造り込みをしている。沸本位の互の目乱れは刃縁に豊かな働きを魅せて金筋・砂流しかかり、沸足は刃先に放射して頗る明るく冴えている。

銀地無垢一重はばき、白鞘入り