T289977(W1799)

脇指 無銘 藤原高田 附)青貝微塵散漆塗鞘脇指拵

新刀 江戸時代初期 (寛永~正保頃/1624~47) 豊後
刃長 39.7cm 反り 1.0cm 元幅 31.0mm 元重 7.6mm 鎬重 8.8mm

保存刀剣鑑定書

附)青貝微塵散漆塗鞘脇指拵

 

剣形:薙刀直造り、庵棟。身幅広く、元重ね厚く、鎬高く棟に向かって肉削ぎ落とす強靭な造り込み。表裏には薙刀樋の彫物がある。(刀身拡大写真
鍛肌:大板目肌、鎬地の柾目肌たち強靱な地鉄をしている。
刃紋:沸出来の湾れに互の目を交えて刃縁にはやや粗めの沸が厚くつき刃中は金筋・砂流し頻りとかかる。
帽子:乱れこんで掃きかけて返り深く留まる。
茎:生ぶ、無銘。目釘孔一個。浅い勝手下がりの鑢目、棟肉平でここには大筋違の鑢がある。茎尻は刃上がり栗形。

 豊後国には鎌倉時代初期に定秀・行平の名工が興き、南北朝時代には同国高田の地に友行が出現して豊後国『古高田』の始祖として名高い。文明二年(1470)に大山祇神社に奉納された国宝の大太刀 無銘 伝豊後友行 附)野太刀拵をはじめ重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品がある。
 友行の門人である重行の子、長盛の代より藤原姓を改め、平姓を名乗ったことから室町時代の作品は『平高田』もしくは『末高田』と呼称している。戦国時代末期になると高田の地は大友氏の庇護を受けて備前、美濃と比肩する最盛期を迎えて利刀を鍛えた。
 安土桃山期になると大友氏の失脚に伴い一時衰退したものの海運の利に恵まれて再復興し『統行』以降に藤原姓を復活させたことより『藤原高田』または『新刀高田』と呼ばれている。
 高田鍛冶は古刀期より盛んに他伝を採り入れたために作域が広く、斬れ味に優れたことから中級武士の好尚に乗じて大いに繁盛し、統行、重行、行長らが良業物位列に叙され称賛されている。
 この脇指は鎬高い強靭な造り込みをしながら、棟肉を削ぎ落として刃の抜けを良くすべく実利に念頭を於いた添指しであろう。板目の地鉄は地沸がつき、太い地景を伴って強靱な地鉄を明示して斬れ味のよさを明示しており尚武の気風に満ちている。沸本位の浅く湾れた互の目乱れは刃縁に豊かな働きを魅せて金筋・砂流しかかり、沸足は刃先に放射して頗る明るく冴えている。

附)青貝微塵散漆塗鞘脇指拵(拵全体写真刀装具写真
縁頭:赤銅魚子地無文、無銘
目貫:馬図、赤銅容彫
小柄:馬図、赤銅魚子地、高彫、色絵、無銘
鐔:瓢箪図、撫角形、鉄槌目地、無銘
柄:白鮫着せ、紺色常組色諸撮巻
時代銅はばき、白鞘入り