A26309(S2845)

刀 銘 兼元

新々刀 江戸時代末期(安政頃/1854~) 美濃
刃長71.3cm 反り1.2cm 元幅30.5mm 先幅21.3mm 重ね7.3mm

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剣形:鎬造り、庵棟。寸延びて身幅やや広めに尋常な重ね。やや浅めの中間反りがついて中峰延びる。鎬の高い強固な造り込みながら平肉のつかない新々刀期の体躯をしている。(刀身拡大写真
地鉄:板目肌がつみ杢まじえ、鎬地柾目肌。地沸よくついて地景はいり鉄色冴える。佩表の上部鎬地に鍛接の緩い箇所がある。
刃紋:沸出来の広狭ある互の目乱れは三本杉風となり、刃縁にはやや粗めの沸がつき、一部は粗沸が地に溢れるところがある。互の目の足は刃先に向かって長く放射し、刃中は金筋・砂流しが頻りと入って葉浮かび沸の闊達な働きがある。佩裏下方の刃中に約90ミリほどの金筋に鍛接の緩い箇所がある。
帽子:互の目を焼いて乱れ込み先掃きかけて小丸となり返り深く固く留まる。
茎:生ぶ。檜垣の鑢目。目釘孔一個、刃上がり栗尻。茎棟平。佩表の目くぎ穴横鎬筋上には大振りな二字銘『兼元』とある。

 『兼元』は『兼定』とならび美濃鍛冶を代表する鍛冶で伊勢の『村正』とならび市中ででもっとも親しまれた刀工である。
同工は寛政九年(1797)に刊行された「懐宝剣尺」で「最上大業物」に指定され、天下無双の切れ味を誇る逸品との風説が広まった。
 室町時代、古刀期の『兼元』の名は同銘数代続き、今日では技倆もっとも優れた二代を指して『孫六兼元』と汎称している。初代の兼元は文明から永正ごろとされ、三本杉風の刃文は希有で、所詮三本杉状の互の目を創始したのは二代の兼元である。
 新刀期の『兼元』の名跡は、奈良派と得印派に受け継がれており、奈良派の『田代源一兼元』は『兼常』一門に合流して幕末頃まで作刀し、得印派の『金子孫六』は寛永頃(~1643)の孫六四代まで鍛冶職が継承された。
 会津最期の名工、会津兼定十一代は初銘『兼元』を名乗り、十六歳で会津藩の御用を勤めて文久三年十二月(1863)に『和泉守』を受領、『兼定』と改銘している。
 現代に至ると『兼元』の名跡は岐阜県無形文化財保持者の金子達一郎『二十七代兼元』(大正十三年一月二十六日生)に引き継がれた。平成二十年歿。

 表題の刀は新々刀期の『兼元』の作。二字銘『兼元』、『濃州関孫六 九代善定藤原兼元作』などと銘をきる。天下無双の切れ味を誇る『兼元』は幕末動乱期の武勇の誉れ高き武士の佩刀であったであろう。威風堂々とした体躯をして確かな技量と作域が感じ取ることができる秀品である。
古研ぎのため、処々に僅かな轢跡があります。
銅地銀渡時代はばき、白鞘入
参考文献:
杉浦良幸『美濃刀工銘鑑』里文出版 平成二十年
鈴木卓夫・杉浦良幸『室町期美濃刀の研究』里文出版 平成十八年

本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年