T316645(S1997)

刀 銘 豊州高田住藤原実行

新刀 江戸時代前期 (明暦頃/1655~) 豊後
刃長71.8cm 反り1.8cm 元幅32.5mm 先幅18.7mm 元厚7.6mm

保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。寸延びて、元身幅広く、元先の幅差が頃合いにつき、やや深い中間反りがついて中峰に結ぶ。手持ちがずっしりと鎬高く、重ねの厚い重厚な造り込み。(刀身全体写真
鍛肌:板目がよく詰んで小板目となり、平地は地錵がよくついて煌めいて地景細やかに入る美麗な肌目を魅せる。
刃文:中直刃は浅く湾れ、刃縁に柔らかな小沸がよくついて刃中へ匂い煙込む。上半は小沸が帯状によく積もり小乱れ、ほつれる刃をまじえて明るく冴える。上半には処々棟焼きがある。
帽子:表裏ともに焼刃高く、直ぐ調に中丸となり、返り深く棟焼きに繋がる。
中心:生ぶ。茎尻は刃上りの入山形。勝手下がりの鑢目がある。棟肉は平でここには大筋違いの鑢目。目釘孔一個。鎬地やや上方には『豊州高田住藤原実行』の九字銘がある。

 南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)の地を中心として栄えた建武頃の筑前左文字の門人『友行』を祖とする高田一派は、戦国時代に大友宗隣の抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて『平』姓を名乗り美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をした。備前・相州に私淑した作品や、美濃伝風の三本杉尖り互の目を焼き入れるたり、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなどなど広範囲な作柄を展開している。新刀期になると、多くの鍛冶は『藤原』姓を名乗るようになったようである。
 銘鑑によると、『実行』は南北朝期の応安(1368~)頃とされ『友行』の子という。室町期を通じて六代つづいた。新刀期には肥後細川家の飛地となった同地で鍛刀を続け寛政(1800)頃まで数代にわたり高田の地に鞴を構えている。
 表題の作者『実行』は新刀期、明暦頃の作で名を久三郎という。隣国の肥前忠吉系との技術交流を明示する山城伝を念頭とした作風は身幅広く重ねの厚い強靭な姿をしている。生ぶの茎は良好な錆味をしており、元姿を留める頗る健全な体躯。入念な小板目鍛の鍛錬には精緻な地景が煌めいて同派の優れた手腕を明示する秀作である。
渡銀太刀はばき、白鞘入
参考文献:
本間薫山・石井昌國『日本刀銘鑑』雄山閣、昭和五十年