W6997(S3276)

刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠廣

新刀 江戸時代前期 (正保頃/1644~) 肥前
刃長70.1cm 反り2.0cm 元幅31.3mm 先幅21.8mm 元厚7.0mm

特別保存刀剣鑑定書

 

剣形:鎬造り、庵棟。刃区深く身幅広めに重ねが厚い。頃合いの中間反りがつく。元先の幅差がさまに開かず、物打ちあたりの身幅も張り中峰のびごころ。(刀身拡大写真
鍛肌:小板目肌がよく詰み、地沸厚くついて地景細やかによく入り潤う。梨の実を割ったような所謂『梨地肌』を魅せて鉄色冴える。
刃紋:広直刃は浅く湾れ、物打ち付近は沸厚く積もり二重刃を呈して明るい閃光を放つ。刃中は精緻な小沸が充満して匂口深く明るく冴える。
帽子:焼刃高く、直ぐに中丸となり深く返る。
茎:生ぶ、茎尻は剣形。鑢目は浅い逆勝手下がり。棟小肉つき切鑢がある。目釘孔壱個。佩表の棟寄りに『肥前国住近江大掾藤原忠廣』の長銘がある。
 近江大掾忠廣は初代忠吉の子。はじめ橋本平作郎のち新左衛門を襲名。寛永九年(1632)父忠吉没後、忠廣を襲名してから終世忠廣を名乗り忠吉を名乗っていない。寛永十八年(1641)七月二十二日近江大掾を受領。藩より屋敷と切米二十石を拝領。元禄六年(1693)五月二十七日没、享年八十であった。
 寛永七年から元禄初めまでの作品が残り、52年の長きに渡って幾多の名品を世に送り続けた。 鎌倉時代の山城国、来国光を念頭に『小糠肌』と称賛を浴びる小板目肌に微塵の地錵を涌きだたせる肥前肌と帯状の匂口に明るい小錵を交えた直刃を完成の域に至らしめた巧手であった。
 刀は太刀銘に、脇差および短刀は佩表の刀銘に切るのが通常であるが、二尺を超える刀にも脇差として作ったものは、刀銘に切ることもある。「肥前國住藤原忠廣」「近江大掾藤原忠廣」「肥前國住近江大掾藤原忠廣」「肥前國忠廣」「忠廣」などの銘を見る。
 この刀は『小糠肌』もしくは『梨地肌』と称される清涼感に満ちた小板目鍛に煌めく地錵が湧き出して小板目状の精緻な地景がついて躍動感に満ちている。鎌倉時代後期の来国光に迫る同工の完成期の作風を明示している。刃区深く遺され中峰帽子の焼刃深く健全な体躯を保ち、錆味優れる茎には精緻に施された浅い逆勝手下がりの鑢目を遺し、明瞭な鏨枕を保持する長銘は典型である。
金着せ腰祐乗鑢はばき、白鞘入り