O116292(S2065)

刀 銘 日本鍛冶宗匠三品伊賀守藤原金道 菊紋 雷除 明和八歳八月日

新刀 江戸時代中期 (明和八年/1771) 山城
刃長76.3cm 反り3.1cm 元幅31.0mm 先幅21.0mm 元重6.4mm

保存刀剣鑑定書

 

 

剣形:鎬造、庵棟、寸延びて反り深くつく。元身幅広く踏ん張りがあり、元先の幅差が頃合いについて鋒に結ぶ優美な太刀姿をしている(刀身拡大写真
彫物:表裏のはばき上には丸留の棒樋に添樋の彫物がある。
鍛肌:地鉄、板目肌よく錬れて杢を交えて処々流れる肌合い。地錵つき地景顕れる美麗な肌目を魅せる。
刃紋:焼刃の広い直刃を基調とした湾れ刃は匂いを敷いて小錵よくつき小乱れを交える。
帽子:直ぐに小丸に返る。
中心:茎生ぶ、茎尻剣形。目釘孔壱個、鑢目はごく浅い勝手下がり。佩表鎬地にやや小振りの草書体で『日本鍛冶宗匠三品伊賀守藤原金道』の長銘がある。裏には十六葉の菊紋と『雷除』、目釘孔の下方の鎬地には草書体の制作年紀『明和八歳八月日』がある。

 三品系の繁栄は志津三郎兼氏九代を称し、武田信玄に仕えた関の住人『兼道』が文禄二年(1593)に四人の子を連れて上京したのを始まりとし、伊賀守金道、和泉守金道、丹波守吉道、越中守正俊らの親子は三品派と称され、埋忠明寿、堀川国広の一門と並び幕政時代を通じて栄えた一門として名高い。
 伊賀守金道は兼道の長男で、文禄三年(1594)に伊賀守を受領、三品一派の家長としての重職を努めた。慶長十九年(1614)、大阪冬の陣を控えて徳川家康より「三ヶ月間で刀千振り」の制作を命じらた折りに、家康の奏上で『日本鍛冶惣匠』の称号を朝廷より賜り、以降代々『伊賀守』を受領して『日本鍛冶惣匠』と『菊紋』を刻することを許された名門である。刀匠の受領手続きの窓口に就いて、頭領としての格式と伝統を代々受け継いでいる。すなわち伊賀守金道は総ての刀鍛冶の頂点に立ち、刀工の受領における取次ぎの権限を掌握していた。受領を希望する刀工は金道に誓紙を提出し弟子になる必要があった。
 表題の太刀造の刀は五代目伊賀守金道、俗名『三品右膳』四十四歳、円熟期の作。宝暦十三年(1763)、三十六歳で伊賀守を受領して日本鍛冶宗匠を勤めた。寛政四年(1792)二月歿 行年六十五。安永から寛政初年までの年紀作がある。菊紋の下に『雷除』を刻するのは、二代金道が菊紋とともに勅許されたと伝わるが、作品に観られるのは五代金道からで神事の宝刀や贈答献上刀などを制作をして人気を博している。
 上質の鋼は鉄色冴えて、板目鍛はよく錬れて潤いがあり、地錵がついて地には錵の映りがたつ。寸のびた反りの深い優雅な太刀姿は踏ん張りがあり美しく、凛とした棒樋に添樋を伴うい古作山城物の姿を彷彿とさせる。刃文は匂いを敷いて、小錵出来の直調の湾れ刃を焼いて刃縁は上質で明るい小沸が積もるなど来派の太刀に私淑した作で健全な体躯を保持する同工の出色の作刀である。
 往時を偲ぶ共木はばきの古白鞘が付属しており、特別な需めで制作された献上品であることが窺えよう。今回の出展にともない、研磨をし、銀二重はばきと白鞘を新調した完存の優品である。
新規制作銀無垢二重はばき、新規制作白鞘付属