T24012(S1864)

刀 銘 駿河守藤原盛道 附)黒蝋色塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代前期(寛文頃/1661~) 尾張
刃長 70.5cm 反り 1.5cm 元幅 29.6mm 先幅 18.8mm 元厚 6.6mm

特別保存刀剣鑑定書

附)黒蝋色塗鞘打刀拵

保存刀装具鑑定書(鐔)

剣形:鎬造り、庵棟。身幅頃合いに浅めの反りが付き中峰に結ぶ均整のとれた体躯。鎬の高い強靭な肉置きでどっしりと十分な重量がある。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌ゆったりと錬れ杢を交え、鉄色やや黒づんで肌立ちごころに地錵が厚くついて地景が湧き出す頗る強い肌合いを呈している。
刃紋:区上で直ぐ調子に短く焼きだして、小錵本位の互の目に尖り刃を交え総体に焼刃高い。刃縁には小沸よく付いてやや粗めの沸が凝り明るく冴える。刃中は匂い深く充満して透明感があり、明るい閃光を放つ互の目の沸足は刃先に向かい放射している。
帽子:横手下で焼き込んで直調となり中丸に返る。
中心:生ぶ。刃長に比してやや短めに茎尻絞る。棟肉平。刃上栗尻。鑢目は勝手下がり、茎孔壱個。佩表の棟よりにやや小振りで太鏨の長銘『駿河守藤原盛道』がある。
 新刀初代、駿河守盛道は永禄年間のはじめ(1558)頃、岐阜『盛道』の子として生まれた。関七流の『室屋長衛門五道兼道』の末葉で本国美濃関から岐阜に転住し、山城での作刀もある。慶長十五年(1610)の名古屋城築城後に家康九男・徳川義直が城主になると名古屋城下に鞴を構えて尾張藩の抱え工として活躍した。 三品派の始祖で、伊賀守金道・来金道・丹波守吉道・越中守正俊の父として高名な『陸奥守大道(大兼道)』の有縁とおもわれ、岐阜・尾張鍛冶の代表刀工である。政治・経済・文化・思想と広範囲に及ぶ社会環境の変革による中世から近世への一大転換期に美濃伝に豪華絢爛な作風を採り入れて個性豊かな遺作を残して名高い。
 表題作刀は寛文年間、二代の駿河守盛道の作刀。武勇の誉れ高い尾張藩士の需であろう。二尺三寸二分半の定寸法の体躯は凛として鎬高く、十分な重量がある。初代に比して太鏨で小振りの銘で『駿河守藤原盛道』と鏨を運んでいる。
 剣形は同時代に流布したやや浅めの中間反りがついて中峰に結ぶ所謂『寛文新刀姿』を呈している。刃長に比してやや短めに茎尻を絞り込んだ『たなご腹』風の茎形状は初代同様で、伊勢千子、駿河島田、相州綱広、武州下原一門いづれにも共通する特徴でもあり技術交流が伺えよう。
 尾張刀工は徳川御三家の筆頭で中京と呼称された至高の立地条件で名刀を制作しながら、その多くはて他藩への売品としてではなく、尾張藩の抱え工として活躍したために絶対的制作数は少ない。本作は尾張上級藩士の打刀として伝承された頗る健全な体躯を有する優品である。

附)黒蝋色塗鞘打刀拵拵全体写真各部拡大写真
銀着はばき、白鞘付属

参考文献:岩田與『尾張刀工譜』名古屋市教育委員会、昭和五十九年