M5984(W8087)

脇指 銘 奥大和守平朝臣元平 寛政六寅春

新々刀 江戸時代後期(寛政六年/1794)薩摩
刃長 54.9cm 反り 1.5cm 元幅 32.0mm 先幅 24.4mm 元厚 7.5mm

特別保存刀剣鑑定書

剣形:鎬造り、庵棟。壱尺八寸壱分と寸が延び、身幅広く頃合いの反りがつき元先の身幅差がさまに開かずに大切先に結ぶ、所謂『元平姿』と称される頗る豪壮な姿。(刀身全体写真
鍛肌:強靭な板目鍛えの地鉄は処々大肌が顕れて『蜘蛛の巣状』となり、『芋蔓』もしくは『釣り針』と称される太い地景が板目肌に呼応して顕れ、地錵が平地一面を厚く覆う『薩摩肌』と称される薩摩新々刀独特の地鉄。
刃文:錵匂ともに真に厚く深い湾れ刃には、尖り刃交じりの互の目の大乱れ。刃縁には粗沸が厚く絡んで稲妻、金線、砂流し頻りとかかり、力強い『芋蔓』と称される長く繋がった太い沸筋が刃中から地にかけて表出して『釣り針』状態の地景が表出し、刃縁の錵匂ともにますます華やかにすっきりと明るい光彩を放ち見事。
帽子:表裏とも焼刃高く、乱れ込んで掃きかけて返る。
中心:薄肉舟底形に先細り茎尻を剣形に結ぶ。大筋違の鑢目、目釘孔壱個。履表には『奥大和守平朝臣元平』の長銘、裏には『寛政六寅春』の年紀がある。剣形の茎尻底部には隠鏨がある。

 元平は新々刀期の薩摩を代表する優工。同郷の正幸とともに、主水正正清や一平安代両工らが島津家の庇護のもと営々と相州伝の伝法を熟成させた後、志津風相州伝をさらに昇華させた上々作として名高い。同工は奥孝左衛門と称し、延享元年(1744)に奥家の四代、元直の嫡子として生まれ、安永六年(1777)に家督を継いで、天明五年(1785)に薩摩藩工となり島津家に仕えた。
 はじめ『薩州士元平』、『薩藩臣奥元平』などと刻し、寛政元年(1789)十二月一日、正幸が伯耆守を任官する同日に『大和守』を受領して『平』姓および有力氏族の称号『朝臣』を下賜された。以降はおもに『奥大和守平朝臣元平』と鏨をはこび相州伝の名作を遺した優工である。
 『元平姿』と称されている同工の剣形は、身幅の広い慶長新刀姿を踏襲しながらも鎬幅を狭く平肉を減じる体躯が特徴。刀は物打ち付近から切先の身幅をやや減じて反りをやや深くするのに対して、脇指は元先の幅差さまに開かず大切先になった豪壮な姿の作品を遺している。
 刀はほとんどを太刀銘で刻しており脇指・短刀は佩表に銘を切る。茎は舟底風の茎尻を剣形として茎尻底には偽造防止策として隠鏨を刻している。大和守受領以降の多くは裏年紀に年、月日を刻さずに、「支」のみをきり、季節も殆どが「春」と「秋」のみが多くなるようである。
 文政九年七月十三日(1826)歿、行年八十三の長寿であった。
 本作は元平五十一歳の作。身幅広くどっぷりとした豪壮な体躯は薩摩新々刀の典型である。錵匂ともに殊の外深く、特に物打ちから切先にかけての錵の華はとりわけ明るい閃光を放ち、錵が地に溢れて地錵の華を咲かせる様相は同工の特徴を明示し、姿・地刃ともに頗る健全に躍動感漲る同工大成期の屈指の出来映え。茎の錆味良好に鑢目・隠鏨は頗る鮮明。表裏に刻された銘文の鏨枕が明瞭な完存の優品である。
金着一重はばき、白鞘入