T20589(S2067)

刀 銘 冬廣作 附)黒石目地塗鞘半太刀拵

古刀 室町時代後期(永正頃/1504~) 若狭
刃長 70.4cm 反り 2.5cm 元幅 29.7mm 先幅 19.0mm 元厚 7.0mm

保存刀剣鑑定書

附)黒石目地塗鞘半太刀拵

剣形:鎬造り、庵棟尋常に、鎬筋高く重ねが厚い。やや長めの寸法に腰反り深くついて元に踏ん張りがあり、先反りが加わり元先の幅差がややついて中峰に結ぶ。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌に杢交えて流れて総体に肌立ち、湯走り状の地沸がついて乱れ映りが鮮明にたつ。
刃紋:沸主調の湾れに互の目乱れは一部複式の蟹の爪状となり、処々尖り刃を交える。刃縁には小沸厚くついて一部の沸は地に溢れて湯走りとなり、鎬地の元先には跳び焼きがある。刃中は匂い深く充満して葉浮かび、長短の互の目足がよくはいり、金線や砂流しかかるなど沸の闊達な働きがある。
帽子:僅かに湾れて乱れ込み、中丸となり深く返る。
茎:生ぶ、茎目釘孔弐個。刃長に比してやや短めの茎。鑢目は極浅い勝手下がり、棟肉平に栗尻張る。佩表の鎬地、第壱目釘穴横の鎬地には『冬廣作』の三字銘がある。

 冬廣は相州廣次三代の子として伝えられる。武将の信頼厚く、相州に学んだ後に若狭に移住して増大する需めに応じた著名な室町時代の刀工である。 時代を同じくして若州、伯耆、備前、備後、出雲の地で駐槌している。茎の形は相州風のたなご腹のものと本作例のような末備前風のものがある。
 新刀期になると冬廣の系譜は山陰から山陽にかけての城下町にて末葉らが活躍してその名跡を代々受け継ぎ、新々刀期には若狭国冬廣十七代孫と称する高橋長信がでて松江藩工としてその名を挙げている。
 この刀は、常に比して寸がのびて元に踏ん張りがある。鎬が高く仕立てられて平肉が豊かについた堅強な造り込みをしている。反りが深くつき元先の幅差がややついて中鋒に結ぶ古雅な太刀を念頭に於いた造り込み。板目鍛練の肌目の肌間は小板目状に詰んで、板目肌に呼応した地景が顕れて地沸が地斑調に平地を覆い乱れ映りを織りなす躍動感のある景色。
 刃文は広狭ある湾れに互の目、尖り刃や複式の互の目を交えて処々跳び焼きを交え、地に湯走りかかるなど覇気ある焼刃をして帽子が乱れ込む野趣に富んだ作域は相州伝を加味した焼き入れで沸主調の焼刃は冴え冴えとして明るく、平地の地景が刃境を越えて砂流し・金線となり、長短の足をまたいで元から先まで断続して流れている。匂が充満した刃中には葉が浮かび、沸匂の闊達な働きがある。

附)黒石目地塗鞘半太刀拵(拵全体写真各部拡大写真

  • 縁頭:隅立角三つ横目梅紋図、四分一魚子地 同磨地小縁 赤銅高彫色絵、銘 幸雲齋 古川(花押)
  • 目貫:這龍図、赤銅容彫金色絵
  • 鐔:葵形、鉄地鋤下彫、鋤残耳、猪目四方小透、無銘
  • 柄:白藍鮫着紺色常組色捻菱巻

銀地渡金二重はばき、白鞘入