H61071(S7857)

刀 越中住藤原兼則 附)朱枩皮変塗鞘打刀拵

新刀 江戸時代初期(承応頃/1652~) 越中
刃長64.2cm 反り1.9cm 元幅29.1mm 元重6.5mm 先幅21.8mm

 保存刀剣鑑定書

附)朱枩皮変塗鞘打刀拵

 

剣形:鎬造り、庵の棟。頃合いの寸法にやや深めの反りがつき、元先の幅差さまに開かず中峰のびごころ。素早い抜刀に好適な姿をしている。(刀身拡大写真
鍛肌:板目肌に杢目を交え総体に肌目立ち、小粒の地沸が厚く付いて板目・杢目の肌模様に沿って地景がはいり地鉄冴える。
刃紋:浅く湾れて小互の目を組み合わせ、刃縁には細かな沸が帯状に連続して刃中匂い深く煙り込み、小互の目の足が頻りに入る。
帽子:焼刃高く直ぐに中丸に返る。
中心:茎生ぶ、目釘穴壱個、浅い栗尻。浅い筋違いの鑢目が明瞭に、太く強い鏨枕で長銘『越中住藤原兼則』がある。

 兼則は本国を美濃、志津三郎兼氏の流れを汲む直江志津を始祖とした関七流の一つ、三阿弥派の頭領を勤めた。兼元、兼定らとともに美濃関を代表する刀工である。
 古刀末期から新刀初期には良業物の誉れ高く、優れた技量を認められて上杉氏の越後春日山、朝倉氏の越前一乗谷、松平氏の越中富山、尾張徳川名古屋、信州へと出向いて武士の需めに応えている。
 この刀は江戸時代前期、承応頃(1652~)に越中富山に移槌した兼則の作。刃棟の区深くふくら張り鎬筋を立て、僅かに棟を卸して鋒延びて先重ねも重厚な、ずしりと重量の感じられる健全な体躯をしている。
  地鉄板目肌に大杢交えて地沸均一に付く。長めの焼き出しから始まる刃味優れた刃文は浅い湾れに小互の目交え、刃縁には小沸厚く均一に付いて小足入り、帽子は焼き高く中丸に返る。 手置き優れた生ぶの茎は保存良く錆味良好に、細やかな筋違鑢が丁寧に掛けられて鏨枕明瞭な銘字が伸びやかに切られている。生ぶの目釘孔は大きく穿かれた武勇の誉れ高き打刀である。

朱枩皮変塗鞘打刀拵拵全体写真部分拡大写真
  • 縁頭:貝尽図、鉄地、高彫、金象眼、無銘
  • 目貫:伊勢海老図、山銅地、容彫
  • 鐔:四君子図、鉄地、陽透、無銘
  • 柄:白鮫着、金茶色片撮菱巻
時代打刀拵の柄糸にほつれがあります。
金着二重はばき、白鞘付属